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2006.06.09

チャオ御岳スノーリゾート 第1デュオ

Chao01pl01

チャオ御岳スノーリゾート 第1デュオ
事業者名:飛騨森林都市企画株式会社
公式サイト:http://www.ciao.co.jp/index.html
所在地:岐阜県高山市高根町日和田
キロ程:683m
支柱基数:不明
高低差:137m
最急勾配:不明
輸送能力:1200人/時
搬器台数:不明
速度:不明
回転方向:反時計
動力:電気
許可年月日:1997年1月14日
運輸開始年月日:1998年11月27日
種別:特殊索道
方式:単線固定循環式
搬器定員:2人 モデルE
山麓:原動緊張油圧 (2コラムDXカバー)
中間:あり
山頂:終端
索道メーカー:日本ケーブル
鋼索メーカー:不明

観察日:2002年4月7日

チャオ御岳の山に向かって左側に架かるリフト。ゴンドラ山頂からの初級者向け「イーストコース」の最下部をカバーする。さらに、トップ画像のように中間停留場があり、初心者向けとしても機能している。

この中間停留場の存在は、ゲレンデガイド本でも無視されており、公式サイトのゲレンデマップにも掲載されていないが、ここで言及されていた。

日本ケーブルの標準的なペアリフトで、山麓原動緊張装置は、機械室タイプのDX機械カバー。


執筆日:2006年6月9日


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コメント

日本で始めてペアリフトが掛けられたのは浦佐国際スキー場でしたよね。どこのメーカーか分かりますか?

あと、この前、国道17号を走っていたら、浦佐国際スキー場のリフトが撤去されていました。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.10 14:56

索道趣味さん、こんばんは。

浦佐国際が日本初のペアリフトというのは初耳でした。

正式に認可を受けたリフトの第1号である妙高高原の赤倉と池の平に架設されたリフト(1950年建設)は2人乗りリフトで、このリフト搬器は上信越道妙高SA内に展示されています。ただし、これは貨物索道の技術を流用した設備で複線自動循環式でした。
これ以前に占領軍用として架設されたリフトにも2人用はありましたが、架設場所は浦佐ではありませんでした。

固定循環式リフトでは1971年9月にペア化された高尾山リフト(東索)が国内第1号のはずです。他のメーカーでは日ケが1971年に志賀高原一ノ瀬に、安索が1972年に菅平で架設したのが第1号になっています。
日ケ・安索以外のメーカーが1971年に浦佐国際にペアリフトを架設していたならスキー場における固定循環式ペアリフト第1号だった可能性はありますが、そうだとしても一ノ瀬と同時ですし、立地条件を考えると一ノ瀬のほうが営業開始は早かったように思います。

投稿: こぶ | 2006.06.10 18:22

>>索道趣味さん
私も初めて聞きました。どこからの情報でしょうか?
非公認では、日本最初のリフト架設は草津のようです。菅平のリフト第1号は表太郎ゲレンデ、現在はトリプルリフト架かっています。

リフトが撤去というのはどのリフトでしょうか。あいまいでよく分からないのですが…もう少し詳しく、教えてください。
浦佐国際スキー場は少し前のスキー場ガイドでは休業となっていましたし、Yahooのスキー場情報にも掲載がない状況です。近年は営業していたのでしょうか。

投稿: 五菱 | 2006.06.10 23:58

五菱さん、こんばんは。

認可を得てないリフトの第1号は、米軍用として札幌藻岩山に1946年に架設されたもので、日本軍の軍用索道を旅客用に改造した複線自動循環式で背中合わせに2人が乗車する構造だったそうです。次が志賀高原丸池に1947年に架設されたもので、これは単線自動循環式貨物索道の搬器を1人乗りの椅子に改造したものでした。

草津が第1号というのが間違いというわけではなく、1948年に草津で架設されたのは単線固定循環式リフトですから、今日の一般的なリフトである単線固定循環式リフトの第1号というわけです。

つまり、日本のリフト第1号は、
米軍用の藻岩山 1946年
単線固定循環式第1号の草津 1948年
運輸省認可の第1号 赤倉・池の平 1950年
の3種類があると言えそうです。

ところで高尾山リフトのペア化は同社の公式サイトの記載により1971年としましたが『続旅客索道』(コロナ社)によれば、昭和43年に特認により2人乗りとなったと記述されています。43と46の誤植だとは思いますが、念のため追記しておきます。

ところで浦佐国際ですが、2004年12月に有限会社里山から有限会社フィールドボックスにリフトが譲渡されていますし、ヤマケーの2006年版ガイドでは2005-2006シーズンの営業日が書かれてますから営業していたのではないでしょうか? Yahoo!スキー&スノーは比較的情報が信用できますし、詳しいので私も愛用してますが、いったん休業したところは復活しても掲載は復活させない事があるようです。他にもそういう事例がありましたので、必ずしも信用できません。

投稿: こぶ | 2006.06.11 00:45

浦佐国際スキー場にペアリフトが初めて架けられたと言うのは私の知る限りです。家も近いので。リンクしておきますが、日本初のペアリフトは東索のようです。書いてあります。浦佐国際スキー場には東索独特の作業アームをした支柱がありました。それが多分第1号だとは思うんですけど・・・・。私は近いながらも行ったことがありません(笑)


撤去されたというのは、全てのリフトです。今まで立っていた支柱が全てなくなり、残っていたのはナイター照明だけでした。今シーズンは2本のリフトが動いていたのですが、それも撤去されていました。今回動いていたペア2本は日本ケーブルの非ウォームシートタイプか安索の座面が木製のリフトだと思います。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.11 08:36

索道趣味さん、こんにちは。

私の先のコメントに書いてありますとおり、国内初の固定循環式ペアリフトは東索製で間違いありませんが、それは高尾山に架けられた観光リフトです。

浦佐国際の開設年はここでは1974年12月21日、こちらでは昭和50年(=1975年)、さらにこちらではリフト運転開始が昭和50年12月18日となってます。どれが本当かわかりませんが、最後の昭和50年12月18日というのは、浦佐国際第1ペアリフトの運輸開始日ですから、1974年にロープトゥかなにかで仮オープンして、1975年にリフトを開設したのかもしれません。日ケの「建設工事経歴書」をみると、どうも中越エリアは中信エリアに比べてペアリフトの導入が遅かったようですから、浦佐国際がこのエリアでのペアリフトとしては極めて早期だったのは間違いなく、このエリアでは第1号だったのかもしれません。(日ケの中越エリアでの第1号は石打観光第6で1977年)
ただ、国内初というのはすでに書いたとおり間違いです。

この第1ペアリフトは、少なくとも日ケ製でないのは確かです。88年のスキー場ガイドに搬器をアップした写真が出ているのですが、1本パイプ型の搬器で、このタイプの搬器は私は安索と川鉄しか見たことがないですが、作業アームが東索タイプだったのなら東索かもしれませんね。この時代のリフトは、まだ各社のスタイルが確立されていないので、外観から見分けるのが難しいです。

投稿: こぶ | 2006.06.11 14:49

書き忘れです(^^;

浦佐国際で今シーズン動いていたのは、第3・第5ペアと思われますが、これはどちらも日ケ製ですね。(同社「建設工事経歴書」による)1984年製と85年製ですのでどちらも座面が木製ではないと思われるのですが・・・
ちなみに第2リフト(シングル)も日ケ製で、同社製でなかったのは第1ペアのみのようです。
第1ペアが東索らしいとなると、安索製の座面が木製というリフトにあてままるリフトがないのですが・・・ 第4が飛んでますが、1988年まで遡っても第4が見つからないので、これは「4」を嫌って飛ばしたのだと思ってましたが「第4リフト」というリフトがあったのでしょうか?

投稿: こぶ | 2006.06.11 15:03

でも、搬器の座面は遠くから見た限りなので・・・。

日本ケーブルは確か、湯沢に営業所がありましたよね?だから、あそこ周辺のスキー場はほとんどが日本ケーブル製のリフトなのでしょうか?でも、中越湯沢エリアの索道で、唯一発見したのが、GALAのワゴネット東索、舞子後楽園第3パラレルが確か安索だったような・・・・。その他にもまだありそうですけど・・・・・・。湯沢エリアでは安索、東索のリフトが少ないですよね。私なんか安索のデタッチャブル1回も乗った事ありません(笑)かぐらへ行った時、みつまた第2高速が動いていないもんで・・・・・。

新潟市万代シティにも日本ケーブルの営業所がありましたよね。そこの近くに日本ケーブルが作ったと思われるレインボータワーがあります。天気がよければ佐渡も見れます。

石打丸山に中央山頂高速リフトが架けられたとき、日本ケーブルの社員らしき人がいました。見に来たのでしょうかねぇ~・・・。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.11 19:09

索道趣味さん、こんばんは。

客先が多いから支店/営業所があるのか、支店/営業所があるからお客が多いのかは難しいところですが、日ケは岩原や土樽に直営のリフトを建設して、スキー場のリフトについて研究を重ねたようですから、湯沢地区になじみがあったのは確かでしょう。安全索道は大阪のメーカーですから、なかなか湯沢までは手が回らなかったのでしょう。メーカーについては、いずれ記事を書きますね。

湯沢にはおっしゃるとおり日ケの北陸信越支店があり、新潟市には営業所がありますね。以前は湯沢がサービスセンターで、新潟が支店だったのですが、いつの間にか逆転してます。サービスセンターができたときは、つぶれたラーメン屋をそのままサービスセンターに使っていたのですが、支店というからには建て直したのでしょうね。湯沢のサービスセンターが出来たのは、確か1980年代半ばでしたから、お客が多いから出先を作ったというパターンなのだと思います。

投稿: こぶ | 2006.06.11 20:36

>>こぶさん
草津のリフトについて、書き方が悪くすいません。。
確かに湯沢には日本ケーブル支店がありました。言われてみれば、ラーメン屋のような建物でしたね(笑)隣には北陸信越索道協会があったと思います。苗場へ行く際通りかかったので車の中から見ました。
一本パイプ型般器ペアリフトは、他にもあります。私が知っている範囲内ですが、野沢温泉村・真湯ペアリフト(安索)、志賀高原・高天ヶ原第3ペアリフト(日ケ)です。

>>索道趣味さん
浦佐国際のペアは日本第一号リフトでなく中越地区第一号だったようですね。
地元の方でスキー場情報に詳しいようなのでお聞きしますが、浦佐国際スキー場はリフト撤去ということは廃業でしょうか?今の状況で架け替えということはとても考えにくいのですが。。

投稿: 五菱 | 2006.06.11 21:02

1時期雪崩で1~2年くらい休場していましたが、一昨年辺りから営業を始めていました。今回で全てのリフトが撤去されてました。架け替えをする様な雰囲気ではないです。もともと倒産寸前で営業していましたから、もうダメになってしまったのでしょうね。来シーズン、行こうと思っていましたがこれじゃぁ行きようがないです・・・・。やはり、廃業と考えられます。今までは遠くからもリフト支柱がよく見えたのですが、最近見られなくなって、気になって、近くを通ったら撤去されていました。今シーズン、休日でもそんなに人は来てなかった模様です。それに、中越地区では結構古いスキー場と考えられます。

こぶさん、石打丸山スキー場の日本リフトサービスは昔は独自でリフトを作ってらしたのですよね。現在も、点検、管理などは日本ケーブルの方と協力してやっているようですが、もし、石打丸山へ行く機会ができたら、聞いてみるのもいいと思います。ただ、恥ずかしいですけど・・・・。事務所は中央第1高速リフト乗り場のそばにありますし、インフォメーションセンターは中央第2リフトを降りた先の小さいゴンドラ搬器ですが、そこにも誰かいます。聞いてみるのもいいですよね。それに、石打丸山スキー場には日本ケーブルの子会社、大生総業が入っています。が、実際余り関係ないですけど・・・・・・。

まぁ、石打丸山には日本ケーブル製のリフト、シングルからクワッドまで色々あります。索道のお勉強にはぴったりのスキー場です。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.11 21:20

>五菱さん、連絡ありがとうございます。修正しておきました。

高天原第3ペアも1本パイプ型でしたか! すっかり忘れていました。夏冬兼用なためか長寿ですね。規制緩和で搬器下が多少高くても夏に使えるようになったので、いつまで現役か少々気になるリフトです。真湯ペアは考えてみると、乗ったことがないかもしれません。

>索道趣味さん、コメントありがとうございます。

日本リフトサービスが以前はメーカーであった件は、同社のサイトに書いてありますね。索道はロープの扱いについては独自のノウハウがありますが、固定循環式に関してはそれほど複雑な機械ではないです。日本ケーブルもいまでこそ二大メーカーの片割れですが、スキーブームだった頃の専業4社体制を構成した安索、東索、太平、日ケの中では最後発で、昭和30年代の初めには弱小メーカーだったようです。当時は貨物索道が業界の主力だったのですが、弱小の日ケは本格的な貨物索道の受注が出来ず仕方なく、当時の索道メーカーはあまり本格的に取り組んでいなかったスキーリフトに活路を見出そうとしていたようです。日本リフトサービスの設立は1953年のようですから、まさに日本ケーブルと同年の創業で、そのころは似たような規模の会社だったのでしょう。日本リフトサービスは、スキーリフトの建設と運営を目的に作られた会社であったのに対し、日本ケーブルは本格的な索道メーカーを目指していたのが、両社の歩んだ内容が違ってきた理由なのでしょうね。

投稿: こぶ | 2006.06.11 22:34

今は日本ケーブルと協力してスキーリフトの運営をしていますよね。

それで、日本リフトサービスが造ったリフトは今あるのでしょうかねぇ~?

投稿: 索道趣味 | 2006.06.12 06:27

浦佐第1ペアは、私のリストでは太平製になっているのですが(ちなみに1974年建設になっています)、当時の自前の資料なので裏付けがありません。

こぶさんの88年版スキー場ガイドの搬器写真と比較ができれば確定できるかと思い、今や貴重品、1本パイプ型ペア搬器を久しぶりに見たかったこともあって、画像検索してみました。さすがに「浦佐」ではヒットしませんでしたが、同社の三国の画像をみつけました。架設年代が異なるので同タイプかどうか自信はないですが。

また五菱さんからご紹介のあった日ケ・安索のペアとも比較を試みようとしました。が・・・
画像があまり鮮明でないこともあって、今ひとつよくわからない。他形式では同一メーカー間であっても、あれだけ異なるバリエーションがあるのに、1本パイプペアはメーカー毎の個性がない!?ハンガーアームのカーブ形状が微妙に違う、くらいですか?

高天ヶ原(日ケ)
http://h3214.web.infoseek.co.jp/iwasuge66.jpg
野沢温泉(安索)
http://www.ztv.ne.jp/n-masa/P1140982.jpg
三国  (太平)
http://kote.3.pro.tok2.com/ski/test/05mikuni2.jpg

リエックスの川鉄のペアがとっても際立って特徴的に思えてきたのでした。
肝心の東索の同タイプの画像がみつかれば、もっと確実な判断ができるかも知れませんね。

投稿: tune | 2006.06.12 17:18

>索道趣味さん、こんばんは。

日本リフトサービスは、日ケの協力業者として建設作業に従事してるのは知ってますが、運営に日ケの協力をしているとは知りませんでした。
もしかしたら自社のリフトは、機械装置だけを日ケから購入して、自社で施工しているのかもしれませんね。

投稿: こぶ | 2006.06.12 18:51

でも支柱などは全て自社製だとしたら、形も違いますよね・・・・。今は一緒ですけど・・・・。

ホームページに確か、
「当社は握索機、搬器の管理、支柱製作などは自社で全て行っています」

とあったような・・・・。多分ないと思います・・・・。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.12 19:56

tuneさん、どうも。

リエックスの川鉄のペアリフトあるじゃないですか。あれの東索(東京索道)ありますよ。新潟県の須原スキー場第1ロマンスです。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.12 20:20

tuneさん、こんばんは。

件の浦佐国際第1ペアの運輸開始日は、「鉄道要覧」が間違っていない限り昭和50年12月18日が正解だと思われますが、建設認可は昭和49年6月4日で降りてますので、工事自体は49年に行われ、リフト開業だけが何らかの理由で遅れた可能性もあります。そうなるとtuneさんの資料との整合性もとれますね。

東索と似た形状の作業アームを太平も採用していた事は、本ブログでも鐘の鳴る丘ロマンスリフトで紹介しています。今のところ第1ペア東索説は作業アームの形状だけですから、太平の可能性が高そうですね。

ところで1本パイプ型ペア搬器の画像、いろいろと探していただき、ありがとうございます。三国はついに行くことがなかったので、太平でしかもこんな搬器だったとは初めて知りました。

せっかくなのですが、浦佐国際第1ペアは、この3つの画像のどれとも似ていません。サスペンダーアームがこのどれよりも小さい曲率で曲げられています。さらにアームが背板の後ろ側にあるのではなく、座板の真ん中・・つまり左右の乗客の間に位置します。ちょうどシングルリフトの乗客とサスペンダーアームの位置関係と同じ体の真横に位置するわけです。この形状は、たしか、さいとーさんに教えていただいた美川スキー場の搬器と似ています。

と言うことで、搬器からメーカーの推定は出来ませんでした(T_T)

投稿: こぶ | 2006.06.12 20:58

索道趣味さん、こんばんは。

支柱や索受なども機械ですから。なお、同社サイトには「当社は創業期にスキーリフトメーカーとして設計・施工を行なっていたことがあり、現在でもリフトを構成する部材、すなわち支柱、モーター、ワイヤーロープ、そしてお客様がお乗りになる搬器をワイヤーロープに固定する握索機などのメンテナンスはすべて自社で行なっています。」と記載されており、創業期の自社施工だった時代にも、自社製作とは書かれていません。工場を持っていたとは思えませんから、おそらく自社設計の機械を鉄工所などに製造委託していたのでしょう。

ですから、今のリフトは日ケから購入した機械を用いての自社施工だと思いますよ。他のスキー場のリフトを日ケの協力業者として施工しているのに、自社のリフトを他社に施工させるのって変じゃないですか(笑)

投稿: こぶ | 2006.06.12 21:12

>索道趣味さん

須原の第1ロマンスの写真をガイドブックで見つけました。以前に書いた88年のガイドブックは間違いで89年でした(^^;
確かに一本パイプ式ですがこれも背板の後ろに回りこむタイプで他社と良く似てます。支柱作業アームが左右可動式ですから、こちらはおそらく東索で間違いないですね。ただ、浦佐国際の搬器とは明らかに形状が異なります。

投稿: こぶ | 2006.06.12 23:01

こぶさん

浦佐国際第1ペアの件、比較解説ありがとうございました。教えていただいた美川スキー場は見たことがないので、ついでに検索したところ・・

http://yamame-id.hp.infoseek.co.jp/picture/snowbord/2003/0125lift.jpg

http://ob3.ojiji.net/tabinosora/skiy/mikawa-rifuto-kesiki.jpg

ふーむ、なるほど。確かにアームの取付け位置が野沢温泉等とは違いますね。しかし、美川って安索でしたよねぇ。すると浦佐も安索という可能性が?

また当時の太平の提携先、ミューラーの同タイプの搬器はこんなやつ↓なんですが、

http://www.chairlift.org/pics/news/granny.jpg

http://www.chairlift.org/pics/mueller/meu11.jpg

アームの曲がりは似ているものの、取付けが座面の中央・真横ではなく、前方でなされているので違いますね。こうなってくると自分自身でメモったデータも、甚だ自信なく思えてくる今日この頃。困ったものです。
ところで、こぶさんの「スキー場ガイド」はいつ頃からストックされていらっしゃるんですか?88年以降としても相当な分量ですし、貴重な資料ですね。

索道趣味さん

須原第1ロマンスの情報ありがとうございました。これで全メーカー見られると思ったのですが、画像検索ではヒットしなかったので、残念です・・

投稿: tune | 2006.06.13 17:15

tuneさん、こんばんは。

ミューラーのペア搬器の画像、ありがとうございます。サスペンダーの位置が独特ですね。この方が、真ん中よりは降りやすいかもしれません。
ところで国内メーカーと技術提携先の関係ですが、日ケでは1980年代前半頃から固定循環式でも「system Doppelmayr」と銘板やカタログに記してましたが、他社の固定循環式ではどのていど提携先の技術を生かしているのでしょうが? 三菱・川鉄・樫山など異業種からの参入組は別として、既存メーカーはある程度の実績がある固定循環式では自社開発の技術にある時期までこだわっていたのではないかと思います。これがある時期までの製品は、あまりメーカー間の差異が部外者にはわかりにくい理由なのかなと特に根拠もなく考えていたりするのですが・・・・

日ケの場合は、脱索検知を赤玉にして、固定循環式の握索機を皿バネ式にしたのがドッペルマイヤー式に移行した時期と思われ分かりやすいのですが、他社はよく分かりません。太平-スタデリーの銘板は固定循環式でも確認してますが、ミューラーの技術を入れた太平の固定循環式はあったのでしょうか?

投稿: こぶ | 2006.06.13 19:00

何か、記憶では「鐘の鳴る丘ロマンスリフト」にすごく似ています。ということは、太平索道の可能性もありますよね。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.13 19:10

tuneさん、こんばんは。

質問にお答えしてなかったですね(^^;
1988年のガイドだと思っていた本は、よく見たら1989年でしたお恥ずかしい。このあたりで何度か引越しをしてますので、捨てるつもりはなかったのですが、捨ててしまったのか見つからないガイドがあり、手元で確認できるのは1989年が最古です。この次が1991年で、次が95年か96年で、このあたりからは毎年持ってます。1989年のは全国版でなく、新潟地方索道協会編集版で、その管内しか出てませんが、ほとんど網羅している上に、気のせいかリフトがはっきり確認できる写真が多いのです。搬器のアップなど普通のガイドには出てきませんからね。国会図書館にいけば全部あると思うのですが、さすがにそれだけのために上京はできないので・・ 将来、ネタに詰まったら国会図書館に行くかもしれません(笑)

投稿: こぶ | 2006.06.14 00:58

索道趣味さん、こんばんは。

なるほど浦佐国際第1ペアは太平にも似ていたわけですね。もしかしたら、太平のペア第1号だったかもしれませんね。

投稿: こぶ | 2006.06.14 01:00

そうとも考えられますよね。

東索か太平か判断しづらいです・・・・・・。アームが似ていたので・・・・・。乗り場は記憶では、原動装置があったような・・・・・。

投稿: 索道趣味 | 2006.06.14 06:15

こぶさん、こんばんは。

海外メーカーとの技術提携は、輸送力増強のための先進技術導入やブランドイメージ向上等を背景として、併せて国内メーカーの競争意識もあいまって提携推進に拍車がかかっていったと考えられます。

1972年の安索-ポマの提携がテレキャビンとして結実すると、日ケも御荘湾を最後に自社開発路線を転向して、ドッペルマイヤからの技術導入を図ります。「日本近代の架空索道」の著者、斎藤達男氏はこれに迎合せず、第一線を退いたと聞いたことがあります。

一方、東索はYAN、太平はミューラーを提携先として選択しました。東索-YANは親会社トーメンの関係ですが、太平-ミューラーは当時安索から太平に移籍した技術陣の意向があったようです。勘ぐれば、安索内部でポマ派とミューラー派が対立したのかも知れません。こぶさんおっしゃるように、自社技術にこだわりある技術者にとって、海外メーカーとの技術提携は大きな節目だったのでしょう。

もっとも、単自式においては設計・装置・部材選択含め全面的な技術導入がなされていますが、固定式においては限定的なようです。もともとノウハウや生産ラインはすでに持っているわけですから、スモールパーツの輸入や意匠デザイン程度ではないでしょうか。

投稿: tune | 2006.06.14 19:02

続き、長くなったので・・すみません。

太平-ミューラーの第1号、旧白根火山ゴンドラの架設は1977年なので、この付近の固定循環式の架設実績のなかから私が知っているものを拾ってみると

日勝第1ロマンス、第2シングル(1977年)   引き圧索式のミューラー固定クリップが使用されている(パテント生産か輸入かは不明)
http://www.chairlift.org/pics/mueller/meu12.jpg

車山第6ロマンス(1980年)   片持式の索受支持装置が使われている。受索輪には‘TAIHEI‘の刻印があるので、おそらく意匠のみを導入したと思われる
http://www.chairlift.org/pics/mueller/meu13.jpg

★写真はカタログのもので現地のものではありません。念のため。

しかし、みつまた大島ロマンス(1980年)や妙高杉の原第1ロマンス(1981年)等、同年代の他の固定循環は太平標準仕様で(といってもいろいろなタイプがありますが)、ミューラーの特徴は特段認められないので、固定循環における太平-ミューラーは、「部分ミューラー」かつ一過性の産物のようです。

他方、東索もYANクリップのパテント開発を行い、田沢湖で数基の架設を手がけたものの、コスト的な問題からかYANとの提携をあっさり解消し、自社方式の固定循環に戻っていきます。(その後を三菱が引き受けたのですが、東索がそのまま提携を継続していたらどうなっていたでしょうね)

安索の固定循環にいたっては、ターミナルの外観デザインが大山や神郷のように、たまに゛POMAチック゛である他は、提携技術を生かしているという範疇には無いでしょう。

架設が1970年後半から1980年初めのもののメーカー判別はほんとに難しいですね。資料も限られていますし。
書いていて気づいたのですが、件の浦佐第1ロマンスが1974年建設で太平製だとすると、白根火山より3年も前の建設ということになります。太平のペア第1号は静岡日本平動物園ファミリーケーブル(1972年)で自社方式です(これは確かです、笑)。その中間に架設された浦佐第1ロマンスは自社式か、隠れたミューラー式第1号機だったのか?確かめたくとも実物はなし、確証もなし、会社もなし・・。


ps こぶさんお持ちの新潟地方索道協会編集スキー場ガイド、凄いですね。リフト写真がはっきり確認できるガイドどっかで出版してくれないですかね。

投稿: tune | 2006.06.14 21:09

tuneさん、こんばんは。

さすが詳しいですね。斎藤達男氏の人となりについては、直接ご存知の方からうかがった事がありますが、職人気質の技術者と聞いてますので、自社開発技術を捨ててドッペルマイヤーの技術導入とするのを潔しとしなかったという話は説得力がありますね。常勤役員を退任され顧問についたのが1980年。ドッペルマイヤー提携ゴンドラの第1号である蔵王スカイケーブルの架替が1981年ですから、辻褄も合います。年代的に開発に関わったと思われる同社の技術者から「あの握索機の出来はよかった」という話も聞いたことがありますが、具体的にどう良かったか、話が高度すぎて理解不能でした。

太平のペア1号が静岡日本平動物園のファミリーケーブルだったとは、恥ずかしながら知りませんでした。メーカーを知らない上に、年代的にシングルだと思い込んでました。平成11年10月17日限りの営業だったそうですから、その気があれば十分に行けていたはずで、実に惜しいことをしました。

東索がYANと技術提携した時代があったというのも知りませんでした。フォンロールとの提携前という事になるのですよね。東索の単自第1号が82年の富良野ゴンドラと1社だけ出遅れたのは、このあたりが原因なのでしょうか? ついでに教えて欲しいのですが、東索が一部で脱検に使っている青玉の索輪はフォンロールの技術なのでしょうか?

太平がミューラーからスタデリーに乗り換えた経緯も興味深いです。

新潟地方索道協会のガイドは確かに面白いですよ。さすがに搬器のアップはそれほど多いわけではなく、あっても当時の自慢の設備・・クワッドが多いのですが、まだまだ中小スキー場はペアでも胸が張れる時代でしたから、浦佐国際や須原のような例もあるわけです。ゲレンデ写真でもさりげなくリフトの一部が写っているケースもあり、メーカー判別ぐらいなら出来るケースもあります。こういうガイドが歓迎されるなら、私のブログの読者ももっと増えそうな気がする・・・って、ちょっと自意識過剰かな(^^;

投稿: こぶ | 2006.06.15 01:33

こぶさん

当時の斎藤氏のお立場からすると、日ケの技術=自身の技術くらいの自負があったでしょうし、索道旅客輸送の本格参入に際し、日ケに請われて太平から移籍したらしいですから、外国の他メーカーの技術に乗っかるなどとんでもないという気持ちがあったのではないでしょうか。
不思議なのは、日ケ社史では提携は1977年、それに対しスカイケーブルの登場が1981年でかなり間合いがあることです。また御荘湾をみる限り、海外技術に比し出来栄えは遜色ないように思われ、なぜ他社技術導入に踏切ったのか合点がいかないところもあります。いずれにしても貴重な国産技術を何らかの形で遺しておいて欲しいものだと思います。

さて、東索単自が出遅れた原因は明確にはわかりませんが、①大型交走式において多数建設実績を有しネームバリューを備えていた ②トーメンのバックアップのもと安定した経営と営業サポートを受けることができた、等の背景を鑑みるに、おそらく海外技術導入の件が主因ではないかと想像されます。YANは固定式クリップこそ絶大な定評があり、北米で相当数のシェアを誇っていましたが、デタッチャブルやゴンドラを手がけるようになるのは1985年以降であり、東索の単自開発においては意味を持たなかったわけです。
しかし、十分な自社技術を持ちながら、それを捨てて新たな技術にいち早く対応した弱小会社(こぶさんご指摘のように、当時日ケの経営は他社よりはるかに不安定でした)が、大手資本を控えながら対応に遅れてしまった名門会社をわずか30年で呑込んでしまうとは皮肉なものですね。

確かに東索は一部の脱検索輪に青玉を使っているのが特徴の1つですね。↓は1986年コロラド州キーストンにフォンロールが架設した6人乗りですが、しっかり赤玉です。http://www.skilifts.org/images/resort_images/co-keystone/riverrun/liftline.jpg
他のヨーロッパのフォンロール架設数例をみたところ、やはり赤です。ドッペルマイヤ以外の他メーカーの赤玉もあったので、もしかしたら索道規則で定められているのかとも考えたのですが、赤玉でないノーカラーの脱検索輪もあったりで、正確な適用状況はわかりません。遠目にみる限りシステム的には何の変哲もない普通の接触式のようなので、フォンロール独自の脱検というわけではなさそうです。東索青玉は、おそらく他社と差別化を図ることを目的に青をアクセントにしているだけではないかと思います。
この写真で東索と共通しているのは、搬器サスペンダーの取付け方式です。以前こぶさんも話題にしていらっしゃいましたが、ゴンドラのサスペンダーの取付けは提携先と似た方式を採用することが多いようです。ところで日ケ傘下となった今、もし東索が自社ブランドで架設を行うとしたら青玉でしょうか、それとも赤玉でしょうか?

余談
上掲のフォンロール製ゴンドラは、実はYANゴンドラ1号機の後釜です。後釜というより故障頻発で使い物にならず、架設したその年に余儀なく他社製に架替えさせられたのだそうです。しかし、いつもの流麗なYANデサインに比べると随分ヒドイ。モアイを連想してしまいます。
http://www.coloradoskihistory.com/chairlift/yan4.html
北米ではほとんど実績がなかったフォンロールが指名されたのは何か理由があったのでしょうか?ちなみにフォンロールの索道部門がドッペルマイヤに吸収された1996年同年にYANは破産申請しています。


ps 索道ニュースで知りましたが、東山・七飯・津別とも売却ですか・・。またまたゴンドラ貴重種が減るかも知れませんね。東山架替えは自然消滅ですかね。太平-スタデリはまた改めます。

投稿: tune | 2006.06.15 22:39

tuneさん、こんばんは。

いろいろとありがとうございます。

>斎藤氏のお立場からすると、日ケの技術=自身の技術くらいの自負

これはまったく同感です。旅客索道のために請われて移籍したというのは知りませんでした。日ケ発足早々にSPケーブルという貨物索道を開発している事から、索道技術のエキスパートとして創業に参画したのだと思っていたのですが、この時点で旅客索道に目をつけていたなら、日ケの創業メンバーはなかなか先見の明があったといえそうですね。

日ケが伸びた理由の一つに、業界最大手が工場移転時に労使がもめ、一時的に本業がおろそかになったという話しも小耳にしました。

脱索検知の索輪について、いろいろとありがとうございました。細かな部分での方式の違いは別にして、海外では赤玉が一般的なのですね。色にまでパテントが及んでいるとは思えませんから、東索が青玉にしたのは、日ケの赤玉との混同を避け、独自性を強調したかったのでしょうね。おかげで、今のところ遠目でメーカーを判別するのに役立ってます。

YANゴンドラの話もありがとうございました。日本でも九州のほうで認可にてこずった普通索道があったという噂話を聞いたことがありますが、それでも営業運転にこぎつけ、運転を続けていたわけですから、ここまでは酷くなかったのでしょう。そういえば単自でも、最高速度での連続運転に不安があるので、オーナーの来場中だけ最高速度で運転し、ふだんは減速運転をしているというゴンドラの噂を耳にしたことがあります。

なにか噂話ばかりでお恥ずかしい限りです。

投稿: こぶ | 2006.06.16 01:32

こんばんは。
このコメントで話題になっている、浦佐国際(私にとってはスポーツコムという方が馴染みなのですが)の第1リフトについて。
太平索道のペアリフトで、椅子の部分が木製で、フットレストもありました。
メーカーがわからなかったりした場合には、「不明」としていますので、太平索道で間違いないと思います。
乗車は1993年12月29日ですが、この搬器が1975年からのものかどうかはわかりません。既に撤去されていますので、確かめようもありません。太平に限ったことではないのですが、太平では搬器や支柱を替えていても免許が前のままのものが結構あるようですので。
なお、浦佐国際の他のリフト、第2シングル、第3ペア、第5ペアは、いずれも日本ケーブルでした。
太平の木製の搬器は、シングルは結構乗ったことがあるのですが、スキーを始めたのが91年で、ペアは新しいのに替えられたのか、他にはあんまり乗ったことがないです。

投稿: U君 | 2006.06.18 21:49

U君さん、コメントありがとうございます。

太平索道でも80年代半ばには、プラスチックの座板が一般的でしたから、木製の座板となれば架設当時の搬器であったのは、間違いなさそうですね。リフトの免許(現在は事業許可)は、鉄道と同様に区間に対して与えられるもので、設備に対してではありませんから、架設位置がまったく同一であれば、シングルリフトで得た免許でクワッドでも構わないわけです。鉄道だと多少の線路付替えは良いわけですが、索道は結構シビアで数メートルの移動でも新規免許になるケースがあります。ただ、これは運輸局の裁量によるようで、私の知る限りは明確な基準がないように思われます。また、延長や短縮も変更ではなく、新規免許(許可)というケースがあり、書類上は新しくとも、機械は古いというケースもあります。

投稿: こぶ | 2006.06.18 22:40

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