カテゴリー「索道基礎知識」の記事

2006.12.21

索道メーカー 大和索道建設

大和索道建設は、熊本に本社を置く、索道や吊橋のメーカーである。以前は、九州大和索道建設と称していたが、いつの間にか現社名に改称した。

正直言って資料がほとんどなく、公式サイトでも会社の歴史についての説明がまったくないので、その経歴はよくわからないが、現法人の設立は1972年である。阿蘇山ロープウェイや初代舘山寺ロープウェイなどに実績を残す大和索道という古いメーカーがあり、これらのロープウェイのメンテを同社が請負っていたので、両社は関係あるものと思われる。また、昇仙峡ロープウェイや初代藻岩山ロープウェイを建設した九州索道というメーカーも存在し、大和索道と九州索道が合併して、九州大和索道となったという話を耳にした覚えもあるが、確証はない。

索道ファンの間では、貨物索道方式の屈曲リフトを架設したことで知られている。これは外屈曲を内側に2回曲がることで行う方式で、屈曲部分では立体交差が必須のため、搬器下高さの制限があるリフトには向かないと言われていたが、同社では保護網を駆使して強引に実現している。この特徴ある屈曲リフトも、ラクテンチではリフトが廃止となり、サンビレッジ茜では直線のリフト(日ケ製)にリプレースされた。

大和索道の時代には、スキー場リフトの実績もあったようだが、近年建設のリフトはもっぱら九州内に架設されたリフトで、一部に人工スキー場用はあるものの積雪地向けのリフトの実績はない。また、三井グリーンパーク(大牟田)内では自社施工リフトの運営も行っている。

かいもん山麓ふれあい公園リフトまほろばの里リフトは、おそらく同社製と思われるが、銘板等でメーカーの確定ができなかった。

これで現役及び近年までメーカーとしての実績がある会社の紹介は終了。これ以外に鹿島製作所などもあるが、ほとんど実績がなく、筆者も大和索道建設以上に知らないので、紹介できない。

執筆日:2006年12月21日

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2006.12.20

索道メーカー 樫山工業

樫山工業は、1946年に創立された樫山商店を始祖とするポンプメーカーで、その技術を応用して1978年に国産初の人工降雪機を開発、スキー場業界に進出した。現在、ファンタイプの降雪機では国内で圧倒的なシェアを誇る。

このようにして培われたスキー場との関係を生かし、1990年にはイタリアのライトナー社と技術提携し、索道分野にも進出、トータルでスキー場をサポートするメーカーを目指した。ライトナー社と日本の関わりは、トーメンが輸入元で小松製作所が販売元となり、圧雪車を販売していたが、索道分野では未進出だった。

索道には新規参入であるものの、スキー場とは密接な関係があったのを生かしてか、それなりの実績を残しているが、筆者が知る限りでは、日本索道工業会に加盟して事はないようだ。

第一号の架設がどこになるか不勉強でわからないが、自社出資のスキー場である佐久スキーガーデンパラダのリフトが1994年の架設であり、初期の製品であるのは間違いないと思われる。1999年に架設したよみうりランドのゴンドラ「スカイシャトル」で普通索道にも参入し、高鷲スノーパークのSPゴンドラも架設した。

高鷲スノーパーク SPゴンドラ
樫山工業のゴンドラ:高鷲スノーパーク SPゴンドラ
国内のゴンドラでは最速の6.0m/s

高鷲スノーパーク パノラマクワッド
樫山工業のクワッドリフト:高鷲スノーパーク パノラマクワッド
デタッチャブルリフトとしては比較的コンパクトな一本足である停留場機械が特徴

鷲ヶ岳 レインボー第2ペアリフト
樫山工業のペアリフト:鷲ヶ岳 レインボー第2ペアリフト
固定循環式リフトの原動緊張装置では、この機械カバーが標準タイプのもよう

一時期は実質的に新規受注活動を中止していたようだが、2006年に「樫山スノーテック 」という会社を設立し、スキー場コンサルティング業務のほか索道の製造販売を行うと発表された。この会社について、樫山工業の公式サイトではまったく触れておらず、どうもこのサイトは少なくとも1~2年は更新を怠っているようだ。2006年度に索道を受注したという情報もあったが、どこから受注したのか興味深い。

執筆日:2006年12月20日

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2006.12.19

索道メーカー 三菱重工業

日本を代表する重工メーカーである三菱重工業は、郵便汽船三菱会社が官営長崎造船所の払い下げを受けたことに始まり、三菱造船を経て1934年に三菱重工業となった。第二次世界大戦での敗戦により、財閥解体の対象となり、1950年に西日本重工業・中日本重工業・東日本重工業に三分割されたが、1964年に名目上は中日本重工業に2社が合併する形で現在の三菱重工業となった。そのため会社としては、中日本重工業設立の1950年が設立年となっている。

このように伝統ある重工業メーカーであるが、索道分野への参入は遅く、リゾートブームとなった昭和末期にガラベンダ社(スイス)とリフトエンジニアリング社(アメリカ)と提携、1989年に初めての実績を今金町ピリカスキー場とマウンテンパークのペアリフトで残した。この頃の同社は、リゾート施設の一体受注を狙っていたようで、圧雪車「ベルベア」の開発販売を行ったほか、広告を見る限りでは人工降雪システムへの参入も目指していたようだ。他にも汎用の技術であるコージェネシステムやナイター施設、ITV装置などがスノーリゾート関連の商品ラインナップに並んでいた。

しかしながら、この戦略は不発に終わった様で、ベルベアの販売も終了し、日本索道工業会からも撤退している。

ガラベンダの提携製品として建設した、単線自動循環式の新神戸ロープウェイや交走式の旭岳ロープウェイという大型施設は今も盛業中である。

しかし、リフトエンジニアリング社との提携製品であるYANリフトの自動循環式は、一時は合理的な設計と優れたデザインで一世を風靡したものの構造的な問題があったようで、本国のアメリカでも問題が多発し、北米でのスキーリゾートブームの落ち着きも伴ってリフト社自体が廃業、三菱が建設した製品も故障の多発で稼働率が低く、デタッチャブルリフトはすでに全基がリプレースされている。

ホワイトピアたかす 第2クワッドリフト
三菱YANのデタッチャブルクワッド:ホワイトピアたかす 第2クワッドリフト
同形リフトとしては最後の現役機であったが、昨シーズンに日ケ製クワッドにリプレースされた

網走レークビュースキー場 第2リフト
三菱YANの固定循環式リフト:網走レークビュースキー場 第2リフト
三菱YANでも固定循環式は何基かが現役中

ガラベンダ社は以前から日ケの提携先であるドッペルマイヤー社と提携関係にあったため、(三菱重工が現在、どの程度メンテに関与してるかわからないが)同社との提携製品のメンテは、それほど問題がないものと思われる。そのためかどうか判らないが、新神戸ロープウェイは日ケ系の会社が指定管理者になり三菱製のゴンドラの運営を行っている。

これまでに取り上げた、日本ケーブル、安全索道、東京索道、太平索道、小島製作所、JFEメカニカル、三菱重工の7社が(筆者の知る限り)平成になってから日本索道工業会に加盟していた実績のあるメーカーである。次回以降で、加盟実績のない現役メーカーを取り上げたい。

執筆日:2006年12月19日

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2006.12.18

索道メーカー JFEメカニカル

JFEメカニカルは、日本鋼管と川崎製鉄の合併により誕生したJFEスチールの系列会社である。親会社の統合により、両社の系列であったメンテック機構と川鉄マシナリーが合併し、2004年4月1日に発足した。

索道への進出は、川崎製鉄系の機械・橋梁メーカーだった川鉄鉄構工業が、ギラク社(オーストリア)との技術提携により1987年に参入したことで始まり、1988年には系列の川鉄商事が第3セクターの民間側出資者となっていた小海リエックススキー場において、ペアリフト3本、デタッチャブルクワッドを1本架設した。

小海リエックス第1クワッド
JFEメカニカル製クワッドリフト第1号機:小海リエックス第1クワッド 搬器形状に特徴がある

1994年には川鉄マシナリーと改称し、前述のように2004年に現社名となった。

現在も、日本索道工業会に属する現役の索道メーカーである。

小海リエックス同様に川鉄系の会社が民間側の出資者であったキューピットバレーでゴンドラを架設し、普通索道での実績も残す。

キューピットバレイ ゴンドラネージュ
JFEメカニカル製ゴンドラ第1号機:キューピットバレイ ゴンドラネージュ Swoboda社製搬器を採用

JFEメカニカルの公式サイトの「製品紹介」には、IOXアローザゴンドラリフトの画像が掲載されているが、私の知る限りこのゴンドラは、太平索道-スタデリーの製品だ。「主要納入先」を見ると、信州綜合開発(株)・医王アローザ(株)・(株)白馬舘など太平索道ユーザーの名前が連なるので、おそらくは多くの太平索道製品のメンテナンスを請負っているものと思われる。

1991年建設の置戸町南ヶ丘スキー場 No.1リフトは、施工社が川鉄鉄構工業となっているが、外観は太平索道製品とそっくりで、OEM供給を受けたか、図面提供などを受けて製作したとしか思えず、両社には何らかの接点があったと思われる。

執筆日:2006年12月18日

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2006.12.09

索道メーカー 小島製作所

小島製作所は、長野県上田市にあった機械メーカーだったが、索道分野から撤退し、日本索道工業会からも脱退している。長野県中小企業振興センターのサイトに企業情報が登録されているが、トップページの検索からはリンクが切られているようで、「8Peaks」という検索サイトからでないとヒットしない。しかも、この内容は少々古いようで、インターネットタウンページでも会社名がヒットしないので会社の存亡は不明。

他の索道工業会加盟メーカーが全国展開していたのに対し、同社では長野県を中心とした営業活動を行っていたため、全国的には知名度が高くない。実は、筆者自身も十数年前にエコーバレーで見かけたぐらいだ。

普通索道や自動循環式の実績はなく、もっぱら単線固定循環式のいわゆるリフトに実績を残している。同社の製品は、見つけたら乗っておきたい。

執筆日:2006年12月9日

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2006.12.07

索道メーカー 太平索道

太平索道は、御薗生精一が1938年に日索工業として設立した伝統ある索道メーカーだった。御薗生精一は原晋一が架設工事を請負った秩父索道の架設工事に参画し、同工事の経験者を率いて品川索道工務所を設立しており、その後身が日索工業に当るようだ。原晋一は、索道創世記の日本で代表的な索道技師で玉村式索道で知られる玉村勇助と共に足尾銅山で技師を務め、玉村勇助が足尾銅山から独立し玉村工務所を設立した1907年に、玉村氏と同様に独立し1911年に中央工業所を設立、1914年には国内で2番目の旅客索道である大正博覧会不忍池空中ケーブルカーを架設している。

このような経緯があるために、太平索道では創業を原氏が足尾銅山から独立した1907年と称していた。

原氏の独立以来、密接な関係にあった高田商会が戦時色が強まるにつれ、鉱山開発に傾倒し帝国鉱業開発と改称し、日索工業も鉱山索道の実績を積み重ね、帝国鉱業開発の修理工場を日索工業の川口工場とし、戦時統制経済下では索道機械の鋳造を同工場で集中して引き受けていた。

このように貨物索道を中心とした名門索道メーカーであり、貨物索道が減少してからは旅客索道に転進、交走式や三線自動循環式の普通索道にこそ実績はないものの、単線循環式では多くの実績を残してきた。しかし、1997年を最後に新設はなく、現在では廃業したもようである。

単線自動循環式普通索道の導入にあたって、当初はミューラー社(スイス)と技術提携を結び、後に提携先をスタデリー社(スイス)に転じている。ミューラー社との提携で架設したゴンドラは、白根火山・妙高杉ノ原・ニセコ東山・八海山の4本でニセコを除く3本はリプレース済みで、ニセコも昨シーズンから休止しており、壊滅状態となった。

スタデリー社との提携製品は、ゴンドラもデタッチャブルリフトも多くが稼働中である。

かぐらゴンドラ
太平索道製単線自動循環式普通索道:かぐらゴンドラ
搬器は日ケや東索と同じCWA社製

今庄365第2クワッド
太平索道製デタッチャブルリフト:今庄365第2クワッド
筆者にはあまりかっこよく見えないが、この倉庫然とした上屋がデタッチャブルリフトの標準仕様らしい

趣味的に見た外観上の特徴を見出せるほど観察数が多くないが、間違いないのが下のパラレルリフト支柱のアーム形状。筆者はこれをみると鉄人28号の肩を思い出すのだが、どうだろう。これは他社では類似の形状を見た事がない。

ニセコ東山 ダウンヒル第3リフトA・B線
太平索道製パラレルリフト支柱:ニセコ東山 ダウンヒル第3リフトA・B線丸パイプを曲げたような形状が独特

単線固定循環式の設備でも、銘板にはスタデリー社の名前も入っているので、同様にドッペルマイヤー社の名前を入れた銘板を使う日ケのように、技術提携の成果を生かした設備になっていると思われるが、具体的にどの部分が提携の成果がわからない。

会社の廃業により、使用中の事業者は保守などで大きな手間がかかっていると思われ、優先的に淘汰される可能性があるので、同社製を採用した索道には早めに訪問したい。

執筆日:2006年12月7日

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2006.12.04

索道メーカー 東京索道

東京索道は、東海工務所出身の技術者土持治が独立し、1937年に設立したメーカーであるが、現在の東京索道の設立は1991年10月となっているので、なんらかの理由であらたに会社を設立し、旧東京索道の事業を移譲されたものと思われる。創業は1919年と称し、これは創業者の土持治が東海工務所において紀和索道に着工した年である。

索道のほかに主にダム工事で使われるケーブルクレーンを手がけており、1950年ごろまではダム建設で大型貨物索道が使われることが多かったので、おそらくはこれらの土木分野での売り上げが多かったものと思われる。

旅客索道では、昭和30年代に多くの交走式を手がけている。1968年開業の大雪山ハイランド(旭岳)の山上区間(現在はリプレースにより廃止)を最後に交走式の実績はなく、その後は循環式の実績しか残していない。

防府大平山ロープウェイ
東京索道製交走式ロープウェイ:防府大平山ロープウェイ1959年3月20日運輸開始

余談であるが、石原裕治郎主演映画「白銀城の対決」(1960年・日活)で裕治郎が演じた主人公伊庭技師の勤務先である東洋索道は東京索道がモデルと思われ、同作品の舞台となった建設中のロープウェイは志賀高原ロープウェイと思われる。主人公が索道メーカー勤務という映画・ドラマは、この作品が唯一かもしれず索道ファンは必見だ。ちなみに日活系のCATV・スカパーのチャンネル「チャンネルNECO」の11月放映プログラムに入っていたので、久々の鑑賞のチャンスだった。以前にVHSのセルビデオもあったので、興味がある人は中古で探す手はある。ちなみに筆者は20年以上前にテレビで見た限りだ。

閑話休題。

同社が、固定循環式特殊索道(リフト)にいつ頃参入したかはっきりわからないが、1971年に登場した固定循環式ペアリフトの国内第一号である高尾山リフトは同社による架設であるので、それまでにシングルリフトで多くの実績を残していると思われる。循環式は、三線自動循環式には参入しなかったが、フォンロール社(スイス)と技術提携し、単線自動循環式には参入した。普通索道(ゴンドラ)の第一号は1982年建設の富良野ゴンドラ(現在は交走式にリプレース)、特殊索道(デタッチャブルリフト)の第一号はニセコヒラフの第6トリプル(現・キング第3トリプル)である。

グラン・ヒラフ キング第3トリプルリフト
東京索道製デタッチャブルリフト第1号:グラン・ヒラフ キング第3トリプルリフト1985年12月7日運輸開始

索道ではないが、箱根登山鉄道鋼索線(ケーブルカー)のリプレースにあたり、同社がフォンロール社に発注したため、現在の同線車両には東京索道の銘板があり、公式サイトにも同線の画像が掲載されているが、どこまで関与しているか不明だ。少なくとも箱根登山鉄道関係者が執筆した鉄道ピクトリアルのリプレース工事紹介記事には、フォンロールの名前は出てくるが、東京索道に関しては一字も出てこない。

いつ頃からかはっきり判らないが、総合商社トーメンの傘下に入り、横浜市金沢区鳥浜町に本社と工場を置いていたが、トーメンが自社の建て直しのため事業の見直しを図った際に系列から離れ、現在では日本ケーブル系の資本が入っている。また、本社工場も売却したようで、現在は東京都千代田区に本社を置き、製造は日本ケーブルに外注しているようだ。冒頭に書いた会社の交代とこれらの資本の入れ替えや本社の移転などの関係は、筆者の調査不足で解明できていない。

三菱や川鉄が参入する直前の索道工業会が全国展開四社+地域限定一社というバブル初期の時代には、日ケ・安索の二強に対し、東索・太平が二弱という感じであり、売り上げ比は4:4:1:1とか5:3:1:1などと言われていた。

業界全体での新設索道数が最盛期の東京索道受注数にも及ばない状況が永らく続いている状況では、近年の架設実績は皆無と思われ、おそらくはメンテナンス業務が索道分野での主力業務になっているものとおもわれる。さらに技術提携先のフォンロール社が日ケの提携先であるドッペルマイヤー社の傘下に入った現状では、大型物件を受注することが可能なのかよくわからない。

◎趣味的観点から見た製品特徴

このように日ケ・安索ほど観察した個体数が少ないので、傾向というよりも個体差というべきレベルの観察結果であるが次のような特徴があるといえよう。

まず支柱の作業アームの上部水平材が省略されているか、やや下がった位置にあり、角のような形状になっている。ただ、太平索道も一時期、似た様なデザインを採用していたので、これだけでは判断は出来無い。さらに今では、安索や日ケと似たデザインになっている。

津別スキー場 第1ロマンスリフト支柱
東京索道製リフト支柱例:津別スキー場 第1ロマンスリフト作業アームの上部水平部材がトップの位置にない

ゴンドラ搬器は同社製第一号の富良野ゴンドラではガングロフ製だったようだが、その後はCWA製を採用している。同じCWAのキャビンを採用していてもサスペンダーと搬器の接合部にメーカーの特徴があり、ここで見分けられる。

津別ゴンドラ搬器
東京索道製ゴンドラ搬器例:津別ゴンドラCWA製6人乗りキャビンを採用

固定循環式リフト原動緊張装置の機械カバーは日ケのものに良く似ている。特に機械室タイプでない背が低いものは遠目にはそっくりに見えるが、日ケではカバーは原動装置とともに移動するのに対し、東索ではカバーは固定されカバーの中で摺動するタイプが多く、長いカバーが多い。ただ、カバーも摺動するタイプも確認している。

リフト搬器は、独自のデザインが認められるが、何種類かあるので、どれを標準タイプと呼んだらよいのか難しい。あとは、読者の皆さんで観察を重ねて識別眼を養って欲しい。

執筆日:2006年12月4日

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2006.10.27

索道メーカー 安全索道 ~機械について(5)

◎趣味的な見地から見た機械の特徴

○支柱

二大メーカーである安全索道と日本ケーブルの支柱は遠目には良く似ていて、よほどのマニアか関係者でない限り、区別するのは難しいだろう。以前の日本ケーブルでは、ゴンドラやトリプル以上のデタッチャブルは方錘形を標準としていたので、これらの大規模索道では見分けやすかったが、以前に書いたように日ケがモデルチェンジしたために、ますます両社が似てきた。

これが安全索道のクワッドの支柱だ。

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クワッド用鋼管円筒形支柱:スキージャム勝山ファンタジークワッド

こちらの日ケの支柱と比べても違いが良くわからない。見比べると、作業アームの部材が安索のほうが少し太いように思えるが、錯覚かもしれない。筆者の観察した限りで一番はっきりした違いは次の二点だ。

まず、アームと支柱本体の接続部分の形状だ。

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クワッド用支柱アーム:鷲が岳オーロラ第3クワッド

このように安索はアーム下端が一直線であるのに対し、日ケでは接続部が逆台形状になっている。

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日本ケーブルクワッド用支柱アーム:牧の入第6クワッドリフト

もう一点は、高い支柱で本体が2本継ぎになっている場合のフランジのリブ形状である。安索ではフランジを支えるリブが小さいのに対し、日ケでは大きいようだ。

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クワッド用支柱継ぎ目フランジ部:鷲が岳オーロラ第3クワッド

あと安索では、アームと作業アームがメッキ仕上げではなく塗装仕上げのケースがある。日ケでは比較的早い段階でメッキ仕上げを標準としたために、自然公園法の制約などがない限りはメッキ仕上げとなっているので、ここ20年以内の架設にも関わらずアームが塗装の場合は、安索の可能性がかなり高いと言える。

このアーム形状やメッキ仕上げに関しては、ペアなどの固定循環式でも同様だ。

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ペアリフト支柱:ホワイトピアたかす第4ペアリフト

これが安全索道のペア支柱。支柱本体が塗装でアームがメッキという仕様なので、アームと本体のつなぎ目がはっきりしており、支柱本体の上部が拡がり、その上にアームが載っている事がよくわかる。これに対して日ケの支柱では、こちらのようにアームの下部の形状が支柱本体の鋼管に合わせるようになっている。

大山国際第6リフト/第9リフト
ペアパラレルリフト支柱:大山国際第6リフト/第9リフト

これはペアパラレルリフトの支柱。傾向が見出せるほど多くの事例を検証したわけではないが、これまでの印象では、日ケよりも無骨な感じを受ける。

○索輪

安索の索輪は、他社がプレート式に移行する中、スポーク式を守ってきたが現在ではプレート式も採用している。ただし、全面的に切り替えたわけではないようで、筆者が確認した中では最新の神郷第一スキー場第1/2ペアリフト(2004年建設)はスポーク式、ゴンドラでは2001年のおじろゴンドラはスポークだが、翌年の焼額山第1ゴンドラはプレート式、クワッドでは1997年の木島平第11クワッドはプレート式である。安索のリフトを観察する中で、索輪の形式は要チェックポイントである。

○脱索検知装置

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ペアリフト脱索検知装置:木島平第3山頂ペア

これが安索の脱索検出装置。リミットスイッチから伸びる検出バーに脱索したロープが触れることで脱索を検出するシステムである。検出バーと通常状態のロープはそれなりの隔離距離が必要であるので、脱索の際にある程度のロープの跳ねが無いと検出は不能であるが、そのように静かに外れることは考えにくいので、実用上の支障はないだろう。

◎趣味的な見地から見た安全索道の副業

日本ケーブルでは、関係会社でかなり手広くスキー場運営を行っているが、安全索道はスキー場運営に直接タッチする事には積極的でなかった。筆者が掴んでいる中で、安索が直接運営にタッチしていたのは戸狩小境スキー場のみであり、1983年に閉鎖している。小規模なスキー場で、とても同社が主体的に設立したとは思えず、おそらくは日ケの関温泉やヤナバと同じパターンで、地元資本のスキー場が建設費を払えず債権者となった安索がやむを得ず直営したのではないだろうか。同社がリゾートブーム時にも直営に乗り出さなかったのは、三井物産系の会社であるので、リゾート運営には三井系の他の企業が当ったためかもしれない。

索道趣味者には興味を持つ人も多いであろうリフトカーは、日ケよりも積極的な印象があり、正式な鋼索鉄道である鞍馬寺ケーブルも安索製である。レインボーライン(福井県)のリフト平行線のリフトカーも安全索道と聞いた覚えがある。動く歩道も、その初期の段階で参入しており、大阪万博会場にも納入していたそうだが、大手メーカーに対抗できなかったのか寡聞にて他の実績は知らない。どこかに現存するならば乗ってみたい。


執筆日:2006年10月27日

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2006.09.20

索道メーカー 安全索道 ~機械について(4)

◎趣味的な見地から見た機械の特徴

○停留場機械 ~続き

■単線自動循環式特殊索道

初期の安全索道製単線自動循環式特殊索道・・・デタッチャブルリフトの原動緊張停留場の特徴は、乗降施設と原動緊張装置の分離にあった。

テイネ北かべリフト
安全索道デタッチャブル第1号:テイネ北かべリフト山頂停留場

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αドライブ使用タイプ:栂池中央トリプル
※申し訳ないが、ゴンドラ内から撮影のため、窓への写り込みがある

テイネ北かべリフトの原動緊張装置は、国内ではあまり見かけないタイプ(少なくとも筆者はここでしか見た事がないがオニコウベにある(あった)らしい)だが、もともとは固定循環式リフトの原動緊張装置だ。(ポマガルスキー社のサイトで確認できる) 栂池中央トリプルは、前回の記事で紹介したαドライブと呼ばれ固定循環式用としても広く使われる原動緊張装置。

このように乗降施設に必要な場内機械と原動緊張装置を分離することで、建設や保守が容易になり、コストも節減できると思われるが、停留場面積が過大となり設置場所に制約を受ける。

テイネ北かべリフト
安全索道デタッチャブル第1号:テイネ北かべリフト山麓停留場

このタイプでも、終端停留場の終端装置は乗降場と一体となっている。

このようなタイプの停留場は、デタッチャブルリフトだけでなく、ゴンドラにもある。

蓼科牧場ゴンドラ
原動緊張装置分離型ゴンドラ:蓼科牧場ゴンドラ山頂停留場

この画像ではわからないが右手に山頂停留場の駅舎があり、ロープだけが駅舎を突き抜け、この原動緊張装置まで伸びている。

現在では、乗降場と一体となった原動装置や緊張装置にモデルチェンジした。これに合わせ、標準的な機械カバーの形状も変わった。

レインボー第1クワッド
油圧緊張停留場:鷲が岳レインボー第1クワッド山頂停留場
山麓の原動停留場もほぼ同形状

このタイプの機械カバーは、同時期の日本ケーブルの標準機械カバーに似ている。

蓼科牧場クワッド
油圧緊張停留場:蓼科牧場クワッド山麓停留場

上記の機械カバーと平行して使われていたので、モデルチェンジではなくバリエーションの一つと思われるが、この三角屋根タイプの機械カバーも同社では多く採用されていた。

他のバリエーションとしては、「フランス風」という触れ込みで、あえて異なったデザインとした「シャトレーゼスキーリゾート八ケ岳 バレーリフト」があり、これと同形状のものは「鷲ヶ岳 オーロラ第3クワッドリフト」でも採用されている。筆者が確認した中では最新(といっても1997年製)の「木島平 第11クワッドリフト」も形状が異なるが、これが標準タイプのモデルチェンジなのか施主のリクエストなのかわからない。山頂は前述の三角屋根タイプなので、筆者はモデルチェンジではない可能性が高いと考えている。

執筆日:2006年9月20日

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2006.09.17

索道メーカー 安全索道 ~機械について(3)

◎趣味的な見地から見た機械の特徴

○停留場機械

■単線固定循環式特殊索道

□原動緊張装置
一般的にリフトと呼ばれる単線固定循環式特殊索道で、各社共に最も多く用いられるのが、この原動緊張装置だ。原動装置と緊張装置を一体化したもので、摺動レールの上に乗せれた台車に原動装置が乗せられ、原動装置・原動滑車ごと緊張装置によって摺動する。原動装置は一般的にはモーターが用いられ、緊張力は油圧シリンダーか重錘で発生させる。近年は、保守作業時に便利な油圧が用いられることが多い。それほど複雑な装置ではないので、メーカー間の大きな差異は、原動装置のカバーの形状に表れることが多い。

レインボー第1ペア
原動緊張装置:鷲が岳レインボー第1ペア

安全索道のリフトといえば、このカマボコ形機械室タイプの機械カバーの原動緊張装置を思い浮かべる人も多いだろう・・って、筆者だけかも(爆) とにかく、筆者の確認する限り、類似形状の機械カバーを採用する他社製品は国内で見たことがなく、カマボコ形=安全索道と考えて、まず問題ないと思われる。おそらく出力などによる原動機械本体の寸法による使い分けと思われるが、筆者の確認する限り機械カバー長さは長短2種類あり、これは短いタイプである。

アリエスカロマンス
原動緊張装置(大):津別アリエスカロマンス

こちらが、長いタイプの機械カバー。アクリルのカバーが上の例では4分割であるのに対して、こちらでは5分割になっている。シングルリフトにもこのタイプの原動緊張装置があるが、機械カバーの寸法がペア用とシングル用で異なるのかどうか良くわからない。

筆者は永い間、同社の標準的なオーバーヘッドドライブタイプの原動緊張装置の機械カバーはこのカマボコ形しかないものと思い込んでいたが、以前に撮影した画像を整理して機械カバーが無いタイプを見つけた。

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原動緊張装置(小型機械カバー):志賀高原寺子屋第4ペア

おそらくこれが基本形で、これを機械室タイプの機械カバーに改めたのが、カマボコ形機械カバーと思われる。機械カバーが幌である木島平第6ペアリフトもおそらく同タイプで、この小型カバーを覆うのが幌だとおもわれる。ちなみに寺子屋第4ペアと木島平第6ペアは同年の建設だ。

一部のペアリフトやトリプル以上の固定循環式リフトでは、まったく違った形状のαドライブ形原動緊張装置が使われる。

中の原第2リフト
原動緊張装置(αドライブ):大山中の原第2リフト

上述のカマボコ形原動緊張装置とポマガルスキー社の関係は不明だが、このαドライブはポマ社との技術提携による製品だ。合理的なスタイルの上に格好もよく、筆者のお気に入りのデザインだが、いかにも高そうだ。

同社製の原動緊張装置には下のようなタイプもある。

神郷第一第1ペア
原動緊張装置:神郷第一第1ペア

昔の固定原動装置のように減速機の上に原動滑車が載るタイプで、摺動距離も短いことから、小規模のリフトでしか使えないと思われ、また比較的最近の登場と思われるので、どの程度の実績があるかは不明である。この神郷第一スキー場のもう1本のリフト、第2ペアは遠目には標準タイプに見えるが、よく見ると機械カバーの形状がカマボコ形とは微妙に異なっていて興味深い。

□終端装置
安全索道の終端装置の大半は、下のタイプと思われる。日本ケーブルのA-マスト形に似ているが、日ケでは早々とポストフレーム形にモデルチェンジしたのに対し、安索では一貫してこのタイプを標準仕様としていた。

第3山頂ペア
終端装置:木島平第3山頂ペア

終端滑車が下側のみの支持であるのが特徴で、滑車中心の上部に付く逆円錐形の部材は、おそらく万が一、ロープが上側に外れた場合にここに引っ掛かかり事故の規模が拡大するのを防ぐためと思われる。少々古臭い形に思えるが、合理的な設計であるのは確かでロングセラーとなるのも道理である。

嵐山スキーリフト
終端装置:嵐山スキーリフト

これが数少ない例外の異なったタイプの終端装置。見た目はこちらの方がスマートに思えるが、なぜこちらが普及しなかったのか不思議だ。

□原動装置
原動緊張装置が標準となった後にも(固定)原動装置が登場している。

獅子吼高原ペアリフト
原動装置:獅子吼高原ペアリフト

一見、終端装置のような小型の原動装置で大変スマート。みるからに安価そうで合理的な設計だ。筆者は1990年ごろに岩岳で初めて見て感心した。

□緊張装置
固定原動装置とペアで使われる緊張装置だが、上述の小型原動装置が開発されたのに対して、新しい緊張装置の開発は遅れたようだ。

獅子吼高原ペアリフト
緊張装置(重錘式):獅子吼高原ペアリフト

1996年建設と比較的新しいにも関わらず、この緊張装置は1970年代のものと基本的に同じ設計と思われ、スマートな原動装置と対照的だ。

ファンタジーペア
緊張装置(油圧式):スキージャム勝山ファンタジーペア

一方、油圧式緊張装置は新設計された思われ、最終支柱と一体化した、なかなかスマートで合理的な緊張装置である。素人目には、これを重錘化することはそれほど困難ではないように思うのだが、それがなされていないのはなぜだろうか?

日本ケーブルでは、重錘式が新設計で、油圧式は原動緊張装置の設計を流用したとしか思えない大掛かりな緊張装置となっているのと正反対である。

執筆日:2006年9月17日

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