千光寺山ロープウェイ3代目キャビン登場~尾道市
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宮島ロープウェイは、2月27日から3月7日まで運休し、獅子岩線の搬器交換を行った。新旧の輸送作業は3日にヘリを使って行われ、包ヶ浦自然公園に荷吊り場を設定、中日本航空のシュペルピューマが使用された。
2台の旧搬器は、共に榧谷駅付近に留置され、走行機、サスペンダーごとロープに載せた状態から直接吊り上げられ、走行機、サスペンダーが付いた状態で準備された新搬器は、榧谷駅付近の支索上にヘリから直接降ろされた。
中国新聞の記事には、大阪市内の車両メーカーで製作されたとあるので、旧搬器と同様に大阪車輌製造製と推察される。新搬器は、従来と同様にアルミ製の30人乗り、高さ2.35m、長さ4m、重量1.7t。外国人観光客の増加に対応して室内高は10センチ高い2.1mになった。神鴉(おがらす)伝説をモチーフにしたイラストが、外板に描かれている。
運行再開日の8日と翌9日には記念イベントが開催され、小学生以下は無料になる。
※主なマスコミの報道
中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200803040054.html
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20080303-OYT8T00672.htm
広島ホームテレビ
http://www.home-tv.co.jp/news/local.php?news_id=2008-03-035
http://www.home-tv.co.jp/news/local.php?news_id=2008-02-274
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小樽天狗山ロープウェイ
事業者名:中央バス観光商事株式会社
公式サイト:http://www.cks.chuo-bus.co.jp/tenguyama/
所在地:北海道小樽市最上2丁目
キロ程:734.65m
支柱基数:1基 トラス支柱
高低差:271.0m
最急勾配:27度57分
輸送能力:720人/時
搬器台数:2台
速度:3.6m/s
動力:電気 90kw
許可年月日:1979年7月23日
運輸開始年月日:1979年12月18日
種別:普通索道
方式:三線交走式(1支索2曳索)
搬器定員:30人(車掌省略)
山麓:緊張停留場
山頂:原動停留場
索道メーカー:日本ケーブル
鋼索メーカー:東京製綱
観察日:2007年1月31日
小樽天狗山スキー場は、元々は市営スキー場であったが、市からの要請に応え北海道中央バスが経営を引き継ぎ、その後、本ロープウェイが新設された。ロープウェイは通年運行され、小樽観光の名所の一つになっている。後に同社系列会社に移管されている。
筆者は2回目の訪問であり、前回は夏営業になっていたGWに、「C62ニセコ号」撮影の帰路に訪れている。その時は夕方であり、曇天であったので眺望はいま一つだったが、小樽市街地や港を見下ろすロケーションは印象に残った。
今回は朝里川温泉スキー場を一通り滑ってからの訪問で、カーナビを頼りに望洋台の住宅地を抜けて近道をした。帰宅後、気が付いたのだが、この経路のすぐ近くにある望洋シャンツェにはリフトがあるらしい。一般営業を行わないため、索道事業認可を受けていないためノーチェックで宿題が残った。
閑話休題。本ロープウェイの話に戻す。
ここの特徴の一つは、このような密閉式プラットホームとホームドアにある。防寒性やホーム除雪の手間を考慮した結果と思われるが、ロープウェイ駅舎の流行は、簡易な設備で屋根の無いホームも最近では珍しくないという状況であるので、このような施設は他所ではまだお目にかかっていない。もしかしたら、日本唯一かもしれない。これは、大ボケだった。2006年3月1日に記事をアップした、稚内公園ロープウェイ(廃止済)が密閉式ホームにホームドアだった。ただ、現存では唯一かもしれない。(4月6日加筆)
搬器塗装は、以前は北海道中央バスの塗装と似たものであったが、数年前にこの塗装に変更されたようである。「OTARU」「TENGU」というロゴは、あくまでもデザインであり、搬器の愛称ではないそうだ。
お約束の仕様の掲示。
搬器は、今は無き武庫川車両製で、新設以来、交換されたことがないことがわかる。
山麓駅には、ロープのサンプル展示があった。日本鋼索販売は大手ロープメーカーである東京製綱系列の販売店であるので、東京製綱製ロープであることがわかる。
これが当日使った乗車券。団体扱いなのはJAF割引で購入したためと思われる。
執筆日:2007年4月4日
加筆日:2006年4月6日
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須磨浦ロープウェイ ~三代目搬器登場
事業者名:山陽電気鉄道(株)
公式サイト:http://www.sanyo-railway.co.jp/
所在地:兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5-3-2
区間:須磨浦公園~鉢伏山上
キロ程:446.69m
支柱基数:無し
高低差:180.51m
最急勾配:不明
輸送能力:360人/時
搬器台数:2台
速度:2.5m/s
動力:電気 100馬力(75kw?)
許可年月日:1957年3月14日
運輸開始年月日:1957年9月18日
種別:普通索道
方式:三線交走式(1支索2えい索)
搬器定員:30名(車掌乗務無し)
搬器台数:2台(1号搬器:やまひこ・2号搬器:うみひこ)
山麓:支索重錘緊張・曳索重錘緊張停留場
山頂:原動停留場
索道メーカー:(株)鹿島製作所
搬器メーカー:
二代目 川崎重工業(株)(1980年)
三代目 川崎重工業(株)(2007年)
鋼索メーカー:東京製綱(株)
観察日:2007年3月2日
本ロープウェイは、2005年2月27日付記事で取り上げているが、このたび搬器キャビンの交換を行ったので再度レポートする。そのため、上述のスペックは再掲であるが、搬器に関係する部分のほか、傾斜長が変わっている。これは現地の掲示に合わせたもので、新旧のどちらかの掲示が間違っていたものと思われる。現在の表示は『鉄道要覧』の値に一致するので、こちらが正解かと思われるが、えてして本書のデータも不正確な事があるので、結論づけるのは避けておく。
さて、今回のキャビン交換は2月27日~3月1日の3日間運休して行われ、3月2日11時からから、新キャビンによる営業を開始した。
2月27日は出張中のために工事の見学はできず、28日午後に現場に出かけた。
現場到着時はちょうど昼休み中だったようで、現場にはトラックに載せられた新キャビンと高所作業車などが待機し、その上空にはサスペンダーのみがぶら下がっていた。この時点で1号搬器側はすでにキャビン交換を終え、山頂停留場付近に見えていた。見物に来ていた近所の人の話によると27日に1号搬器の交換を行ったそうなので、両日共に午前中に旧キャビンの取り外しを行い、午後に新キャビンを取り付けたものと思われる。
トラックに積まれた向きは、線路に対しほぼ直交しているので、チェーンで吊上げながら空中でキャビンを回して、方向を揃える。
電動チェーンブロックを使っているのか、巻上げは地上からの操作で行われた。サスペンダー密着するまで持ち上げたところで高所作業車を使い作業員が乗り移り、キャビンとサスペンダーの仮結合を行った。
前回の記事でも書いたように、本ロープウェイのメーカーは、現存する索道メーカーではなく、メンテ体制がどうなっているのか興味津々であり、今回の交換作業もどこが行うのか疑問に思っていたが、作業員は日本通運の制服を着用。現場にも「日本通運 神戸重機」と表記された車が来ていたので、キャビンの交換作業に直接タッチしたのは日本通運だと思われる。ほかに見かけた関係者は、車やヘルメットや制服などから察するに、山陽電鉄、川崎重工業、大阪車輌工業の方々と思われ、おそらく今回のキャビン交換工事は新キャビンの製作から交換までを川崎重工業で請け負ったのではないかと推察される。一般的には索道メーカーが請け負うケースが多いと思われ、このような形態は珍しいのではないだろうか。
話を現場に戻すと新キャビンの仮結合を終えた搬器は、山麓停留場付近に移動させた。おそらく、本結合作業をここで行ったものと思われるが、近くに見学に適した場所がないため見学は移動を確認した時点で終了。3月1日は試運転・調整に当てられたものと思われるが、現地確認はしていない。
新キャビンの営業初日となった3月2日。営業開始は11時、3月4日までの3日間は毎日先着1000名に無料乗車券配布と発表されていたため、営業開始に合わせて現地に向かう。実は筆者は、1980年の二代目デビュー当日も現地訪問しており、この時は通常の営業時刻だったような記憶がある。関係者のセレモニーはあったようだが、一般向けのセレモニーがあったかどうかの記憶が定かでない。記憶にあるのは関係者セレモニーで鏡開きを行ったこも樽のお酒が大量に余っており、その場に居合わせた数少ない一般人にも振舞われたこと。そのときは2月だったせいもあり、一般人はほとんど居なかったことが印象に残っている。
今回は前回とは大違いで、ギリギリに着いた事もあって、須磨浦公園駅では階段の下のほうまで列が続いていた。結局、第1便には乗れずピストン運転された第2便に乗ることになった。3月3日付け毎日新聞記事によれば、運転開始時には約50人が並んだそうで、これは私の体験と合致する。
配布の無料乗車券は配布当日限り有効で、このように山上のカーレーターやリフト料金込みのセットきっぷもロープウェイ運賃相当を引いた価格での発売なので、実質はこの3日間はロープウェイに無料招待という性格のようである。このきっぷ売り場の様子を見る限りでは「先着1000名」というのは有名無実のような印象を受ける。
セレモニーの痕跡も生々しいホームから1号搬器「やまひこ」で出発。セレモニー後、招待された幼稚園児40名が試乗したそうなので、私が見送った一般客が乗った2号搬器「うみひこ」は2番目の出発、この1号搬器がセレモニーの後に出発した搬器と思われる。
中間地点ですれ違う2号搬器「うみひこ」。1号と2号は、同じ塗り分けパターンであるが紅白の色遣いが逆である。この紅白の色は、源平合戦の古戦場である事をから平氏と源氏の旗印を意識して決められたそうだ。ちなみに旧搬器も紅白であったが、2台共に同じデザインであった。搬器自体の形状は、新旧共に良く似ており、正面窓が1枚の上下分割から、左右2枚となった上に上下分割となった点が異なる程度。ただ、窓回りや桟が黒色塗装となったため近代的な印象を受ける。
搬器内のメーカー銘板は、このとおり「川崎重工」のみであり、搬器更新工事には索道メーカーが関わっていないことの傍証になろう。また、交換工事に立ち会っていた大阪車輌工業の銘板もなく、同社は川重の協力企業としての関わりと思われる。おそらくは、実質的には大阪車輌工業の設計製作で川重は元請としての管理監修だったのだろう。
二重天井になっており、段差部分に小型蛍光灯が収められており、間接照明になっているものと思われる。索道搬器の間接照明は初めて見た。
重ね塗りで読み難いが、サスペンダーには「川崎車輌 昭和32年」の楕円銘板がある。一般的なのは、キャビン部分は車輌メーカー製でもサスペンダー部分は索道メーカー製であるのが一般的で、この部分には索道メーカーの銘板があるほうが多い。メーカーである鹿島製作所は一般的な索道メーカーではないので、地上機械のみを担当し、搬器はキャビンのみならずサスペンダーや走行装置も川崎車輌が担当したのかもしれない。
停留場の仕様掲示も、キャビン交換に合わせて新調された。前述の傾斜長の相違のほか、搬器交換年月日も入れられ、情報がより充実した。一般客は無関心だろうが、マニア的にはまことに喜ばしい事である。
搬器前面の記念ヘッドマークは、先日の「2200万人達成」では山麓寄りのみであったのが、今回は山頂寄りにも掲げられた。
ヘッドマークデザインは、両搬器・前後の4枚共に共通だったようだ。
執筆日:2007年3月3日
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雲仙ロープウェイ
事業者名:雲仙ロープウェイ株式会社
公式サイト:http://www6.ocn.ne.jp/~unzenr.w/index.html
所在地:長崎県雲仙市小浜町雲仙551番地
キロ程:481m
支柱基数:1基
高低差:145m
最急勾配:30度40分
輸送能力:不明
搬器台数:2台 ぎんが、きんせい
速度:3.6m/s 1958年6月に3.0m/sより変更
動力:電気 75kw
許可年月日:1956年11月8日
運輸開始年月日:1957年7月15日
種別:普通索道
方式:1支索2曳索三線交走式
搬器定員:36人 1962年3月に31人乗りから変更
山麓駅:仁田峠駅 緊張停留場 支索/平衡索 重錘式
山頂駅:妙見岳駅 原動停留場
索道メーカー:安全索道
鋼索メーカー:帝国産業 (緊張索のみ東京製綱)
搬器メーカー:大阪車輌工業 1993年
観察日:2006年11月1日
雲仙ロープウェイはツツジで有名な仁田峠と雲仙妙見岳を結ぶ路線で、1957年に開業した。妙見岳は1990年に噴火活動を開始した普賢岳に隣接しているが、噴火活動は妙見岳の反対側で発生したためにロープウェイ側の被害はそれほど大きくなかったようだ。
駐車場から少し上った位置に山麓駅舎が建つ。駅舎1階にはきっぷ売り場と売店がある。
駅舎内の階段で乗り場に向かう構造が一般的だが、ここは駅舎外側の階段で乗り場に向かう。天気が悪ければロープウェイ利用者はかなり限られると思われ、こ
のような斜面を巧みに利用した駅舎ならば、それなりに合理的な配置と思われるが、今となってはバリアフリー化は難しいレイアウトといえよう。懸垂式スロー
プカーでも設置するしかなさそうだ。
歴史を感じさせる階段式プラットホーム。
こちらが山頂駅。以前はさまざまな設備があったようだが、現在はその一部が噴火活動の展示室になっているに過ぎない。屋上は展望台になっているが、ロープウェイウオッチングの絶好のポイントでもある。
山頂から見た1号搬器「ぎんが」。
「ぎんが」の搬器銘板。
搬器内部の銘板。
こちらが2号搬器「きんせい」。
「ぎんが」「きんせい」の愛称の由来は、よくわからない。現行の搬器は先の画像にあるように1993年製であるが、公式サイトには「1962年
3月に31人乗りを36人乗りに変更」という趣旨の記述があるので、現行の搬器は少なくとも3代目、4代目の可能性もある。なお、公式サイトには開業当初は26人
乗りという記述もあるが、これは搬器交換をせずに26人から31人に定員を増加させたのか、26人乗りないしは31人乗りという記述が間違っているのかは
不明であり、今後の研究課題である。
執筆日:2007年2月14日
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火の山ロープウェイ
事業者名:下関市
公式サイト:現在はなし
所在地:山口県下関市みもすそ川町
キロ程:438.96m
支柱基数:なし
高低差:165m
最急勾配:29度5分
輸送能力:不明
搬器台数:2台 No.1まんじゅ、No.2かんじゅ
速度:3m/s
動力:電気 56kw
許可年月日:1957年7月18日
運輸開始年月日:1958年4月1日
種別:普通索道
方式:1支索2曳索三線交走式
搬器定員:31人
山麓駅:
山頂駅:
索道メーカー:安全索道?
鋼索メーカー:不明
搬器メーカー:大阪車輌工業 1978年
観察日:2006年10月29日
関門海峡の下関側(本州側)にそびえる火の山に架設されている下関市営ロープウェイ。源平合戦の古戦場である壇ノ浦を望むみもすそ川(御裾川)と山頂を結び、山麓駅は関門国道トンネル人道入り口にも近い。1972年に火の山山頂に通じる有料道路「火の山パークウェイ」が開通した影響もあり、長期低迷が続き、2003年4月から休止された。その後、国土交通省の「まちづくり交付金」の助成事業として、存廃を決める実証実験としての期間限定運転を2005年秋季、2006年春季・夏季に実施し、現在は存廃を検討中である。
筆者は1973~75年に下関在住の経験があり、1973年11月開通した関門橋の夜景見物などに何度か本ロープウェイを利用した。オイルショックの直後に開通した関門橋は、ライトアップの実施を極端に制限したので、その実施日にはかなり混雑していた記憶がある。
読売新聞の地域版ニュース山口1月25日付記事によれば、下関市は前述の実証実験の結果を受け、存続の方向で検討に入ったそうである。火の山パークウェイの無料化などの影響で利用者数は以前よりも減ったものの、業務を人材派遣会社に委託するなどの経費削減策により赤字額は大幅に縮小されたそうで、観光振興策として許容範囲の赤字という判断のようだ。記事によれば、存続が正式に決まれば、ロープ交換などを行ったうえで夏休みごろから期間限定運行で再開する見込みだそうだ。
さて、筆者が現地を訪問したのは、復活の目があるかどうかもはっきりしなかった昨年秋。実は、春・夏と実証実験運行を行っていたので、秋もあるだろうと勝手に思い込んで計画し、出発前には運行の発表がなされていない事に気がついたものの、休止中の様子を記録するだけでもよいかと計画通り立ち寄ったというわけだ。山麓駅舎内のトイレが、日中は公衆トイレとして開放されているため、ホームこそ入れないものの、このように駅への立ち入りは可能である。トイレは駅車内を通り抜けた別棟となっており、乗降場のすぐ横にあるため、トイレ横からトップ画像のような搬器の撮影が可能である。筆者のようなヲタを喜ばせるために意図的に行ったとは思えないが、トイレ側の搬器が山麓駅に留置してあるのは実に喜ばしい。
山麓駅を遠目に見ると、囲われているように見え、中に入れるとは思えなかった。この仮設フェンスの内側に駅舎に登る階段があり、日中だけ開放されるというわけだ。山頂駅も写っており、ロープウェイとしては理想的なワンスパンの線路であることがわかる。
望遠レンズで見ると、このように山頂駅に1号搬器が留置されているのがわかる。
山麓の2号搬器の内部を望遠レンズで覗くと昭和53年という年号の入った安全索道と大阪車輌工業の銘板が確認でき、1978年の搬器交換は安全索道の施工である事がわかる。『日本近代の架空索道』の巻末資料によれば、本ロープウェイの施工は安全索道という事になっているが、走行装置の形状が東京索道の製品である尾道千光寺山ロープウェイ、防府太平山ロープウェイ、岡山スカイガーデンロープウェイ(旧京山ロープウェイ)と酷似しており、本ロープウェイと同年に安全索道が架設した弥彦山ロープウェイの走行装置とはあまり似ていないため、東京索道製という可能性も否定できない。一方、サスペンダーの形状は弥彦山に似ているが、1960年に東京索道が架設した志賀高原ロープウェイのサスペンダーにも似ており、サスペンダーの形状はメーカー判別の決め手にならないようにも思われる。さらに搬器交換時にサスペンダーも含めて安全索道が交換したという可能性もありえる。
ということで筆者は、同書の記述が誤っており、東京索道製ではないかと睨んでおり、今後の研究課題である。運行を再開したら、再訪してさらに究明をすすめたい。
執筆日:2007年2月12日
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いささか旧聞ですが、新年らしくおめでたい話題を・・・・
山陽電鉄が運営する須磨浦ロープウェイは、2006年9月30日に2200万人乗車を達成した。昨年11月に訪問したところ、これを祝う大きな看板が掲げられ、搬器にはヘッドマークが取り付けられていた。
ヘッドマークは両搬器共に山麓側のみ。今回は、当ブログ初の試みとして画像をSVGAサイズで作成した。画像をクリックすると原寸表示されるので、さらに画像を右クリックしてデスクトップの壁紙に設定できる。※ココログの仕様で800×600ピクセルにリサイズされてしまいました(汗) 後日、別のサーバーに壁紙用の領域を設けますので、それまではこれで堪忍してくださいm(_ _)m
本ロープウェイは、本年9月18日で開業50周年を迎える。さらに本年は同社の前身である兵庫電気軌道が設立されて100周年という節目の年であるので、これらを記念して搬器交換を本年2月におこなう予定である。新搬器の営業開始日は、まだ正式に決まっていないようだが、新搬器の営業が始まれば、またレポートをあげたい。
執筆日:2007年1月7日
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八幡山ロープウェー
事業者名:近江鉄道
公式サイト:http://www.ohmitetudo.co.jp/hachimanyama/index.html
所在地:滋賀県近江八幡市宮内町
キロ程:543m
支柱基数:2基
高低差:157m
最急勾配:不明
輸送能力:不明
搬器台数:2台 もみじ号(No.1)、さくら号(No.2)
速度:不明
動力:電気
許可年月日:1961年9月15日
運輸開始年月日:1962年11月23日
種別:普通索道
方式:三線交走式
搬器定員:25人(車掌省略)
山麓駅:原動停留場
山頂駅:緊張(油圧)停留場
索道メーカー:大和索道
搬器メーカー:大阪車輌工業(2006年2月21日交換)
鋼索メーカー:不明
観察日:2006年9月23日
滋賀県中央部の琵琶湖東岸にある近江八幡は、豊臣秀次が築いた城下町で近江商人の町として発展した。現在ではその商都の面影と水郷の町として知られている。この町の礎となった八幡城があった八幡山山頂近くと城下町を結ぶのが、八幡山ロープウェーである。最短距離にある山麓部と結ぶのではなく、ほぼ尾根沿いに日牟禮八幡宮の近くを結ぶところに路線設定の工夫のあとが見られる。同八幡宮は左義長祭で知られる観光スポットである。
この画像をみると駅前広場風であるが、実は駅前はバスも通る道路。道路とほぼ平行にでるロープウェイ線路は珍しい。画像右手の方が日牟禮八幡宮である。ロープウェイの山麓停留場というと、けっこう高い位置まで階段を登らせる例が多いが、ここはこの通りほぼ道路とレベルであり、完全なバリアフリーではないものの人に優しい停留場と言えよう。
停留場内には真新しい安全索道の銘板があった。建設を担当したメーカーは大和索道であるが、2005年に搬器交換を含む大掛かりな更新工事を受けており、それは安全索道が担当したそうだ。この更新工事で、山頂にあった原動装置が山麓となり、緊張装置が山頂となって、交走式では珍しい油圧緊張となったそうだ。
これはホームに積んであったインゴット。もちろん金のインゴットではなく、鉄のインゴットで1個が30kg。これ2個で法令上の一人分の重量になる。検査時に人の代わりに積んだり、強風時に揺れ防止のために積む。ホームに置いてあるのは、強風時に使うためだろう。このインゴット、なぜか一部に日本ケーブルの旧トレードマーク入り(赤矢印のものなど)があり、近江鉄道のスキー場から移設されたものと思われる。
搬器扉横の外側に、燈具などのスイッチがある。ここは車掌乗務を省略しているので、係員の便を図り、外側に装着したと思われる。
こちらはNo.1搬器「もみじ号」。紅葉を意識したと思われる腰板部の赤が裾の部分がグラデーションで薄くなっているというなかなか洒落たデザイン。「もみじ号」「さくら号」という愛称は、搬器交換をつたえる新聞記事にあったのみで、現車には書かれていない。
こちらがNo.2搬器「さくら号」。「もみじ号」と色調の異なる赤でいわゆる桜色となっており、桜の花びらを散らしたような模様が入っている。
搬器内は内張りのある国産搬器としては標準的な感じだ。
搬器内には安索の銘板があり、搬器交換工事も安索が請負った事を物語る。
こちらは搬器のキャビン部分を製作した大阪車輌工業の銘板。よく見かける銘板で、最近の国産交走式搬器は同社のシェアがかなり高そうだ。
搬器内にあった諸元表記。開業時の搬器は、21人乗り、自重1000kgだったそうで、1984年に交換された搬器も21人乗りだったそうなので、2005年の更新時にはロープの仕様も変えたのかもしれない。
これが走行装置で、走行輪や曳索のソケット結合の様子がよくわかる。
搬器には冷房装置がないので人力送風器が装備されていた。
尾根沿いに位置する線路がよくわかる。
これが1号支柱。比較的シンプルなトラス構造に建設時期を感じる。
これが支柱サドルと索輪。支索はサドルのシュー部分に載せられているだけで、前後に摺動可能な構造になっている。三線交走式としては一般的な構造である。
これが山頂駅で、ピークよりやや下がった位置にあり、展望館や八幡城跡にある村雲御所瑞龍寺門跡までは遊歩道や階段で結ばれている。
これが西ノ丸跡から見た琵琶湖と比良連峰。正面あたりがびわ湖バレイで、ゴンドラ線路も見えるはずだが、はっきりとは分からなかった。
遊歩道で西ノ丸跡や村雲御所瑞龍寺門跡を回り、ロープウェイ駅の案内に従って進むと展望館が行く手をさえぎった。建物内を通り抜けるのが正しい道順だそうだ。一応売店になっているので、ついお土産などを買ってしまう人もいるのだろう。むろん手ぶらで出てもなにも言われない。
さて、ここからおまけ。
遊歩道沿いには、この通りラック式モノレールのレールが敷設されており、併用軌道状態だった。レールを見る限りは、最近動いた形跡はなく、残念ながら車輌も発見できなかった。
ラック式モノレールの終点では、小型貨物ケーブルカーに接続。どうも村雲御所瑞龍寺門跡への貨物運搬用の設備らしい。
ケーブルカーには貨車が残っており、エンジンも備え付けられているので、こちらは現役かもしれない。
執筆日:2007年1月6日
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2006年度はまだ3ヶ月以上あるが、索道界としてはスキー場の新設索道が明らかになるこの暮れで、その全容がほぼ明らかになったと言っても過言でないだろう。そこで現時点で筆者が掴んでいる索道の動向を新設情報中心にまとめてみた。
正直言って、かなり抜けがあると思われるので、コメントでどんどん補足いただけるとありがたい。
まずは普通索道編。
◎新規開業普通索道
○ニセコ グラン・ヒラフ
・エースセンターフォーゴンドラ ニセコ高原開発(株) 2006.8.1運輸開始
※2006年度新設の普通索道は無いと思っていたら、とんだ伏兵が潜んでいた。→の「索道ニュース」でもお伝えしたように8月1日から10月9日まで、エース第2センターフォーリフトを流用してヒラフゴンドラのキャビンを使い、普通索道として営業した。白馬47とタングラムが2004年夏営業で導入したものと同様なクワッドの利用法だが、キャビンは夏冬兼用で使う点が新たな試みである。
◎休廃止普通索道
○稚内公園
・稚内公園ロープウェイ 稚内市 1975.7.27運輸開始
※日本で最北の索道・ロープウェイである稚内公園ロープウェイが、利用者減と設備老朽化のため2006年3月31日限りで営業を終えた。最終営業日から2006年4月1日付の廃止と思われる。
この結果、日本最北のロープウェイは、大雪山層雲峡・黒岳ロープウェイとなっている。
○ニセコ東山スキー場
・ニセコ東山ゴンドラ (株)プリンスホテル 1982.12.15運輸開始
※2005-2006シーズンでは休止と伝えられ、休止中のままコクドからプリンスホテルに譲渡された本ゴンドラは、キャビンを流用したアート作品が札幌近郊の公園で展示されており、プリンスの公式サイトのゲレンデマップからも抹消されている(ニセコ三山の共同サイトでは休止中として掲載)ので、休止中としても実質的には廃止と思われる。太平索道がミューラー社との提携で導入した単線自動循環式の最後の1本であった。
○ARAI MOUTAIN&SPA
・新井ゴンドラ 新井リゾート(株) 1993.12.19運輸開始
※運営会社である新井リゾートマネージメントの特別清算により、今シーズンの営業を断念。資産は外資系投資会社が保有しており、施設の保全のみを行って来シーズンからの運営者を探している。
安全索道製定員10名の立ち乗りゴンドラ。立ち乗りとしては、野沢温泉長坂(2代目)に次ぐ国内第2号機である。
○牛岳温泉スキー場
・牛岳ロープウェイ 富山市 1981.12.18運輸開始
※設備老朽化のため本ロープウェイでアクセスするユートピアゲレンデを今シーズン休止と告知している。このまま廃止の公算が高い。安全索道製交走式で、ワンスパンで谷を渡る。
○三峰山(埼玉県)
・三峰ロープウェイ 秩父鉄道(株) 1964.4.29運輸開始
※設備老朽化のため2006年5月19日から2007年5月31日までの予定で休止している。これを報じる中では、収支面で復旧に及び腰な様子も読み取れたので、発表どおり休止を終えるかどうか予断を許さない状況と思われる。
○箱根(神奈川県)
・箱根ロープウェイII期線 箱根ロープウェイ(株) 1960.9.7運輸開始
※三線自動循環式から複式単線自動循環式フニテルへの架け替えのため、2006年6月1日から2007年5月31日までの予定で運休中。2007年6月1日から新線の営業開始予定。2005年3月に宮島ロープウェイが二線自動循環式に改造され、後述の通り奈良ドリームランドスカイウェイが3月に休止されたため、この休止により日本独特の技術であった三線自動循環式は全て姿を消した。
○朝日村営鈴蘭シャンツェ(岐阜県)
・鈴蘭グループゴンドラ 朝日村 1996.2.10運輸開始
※『平成17年度鉄道要覧』には休止中として掲載されていたが、平成18年度版からは記載が無く、2005年度中、もしくは2006年4月1日付で廃止されたものと思われる。なお、朝日村は2005年2月1日付で高山市と合併しており、平成17年度版に朝日村として掲載されていること自体が問題であった。同シャンツェは現役ジャンプ台であり、2007年2月開催の第19回全国高等学校選抜スキー大会会場にも使われる予定である。運輸開始年から判るように老朽化とは考えにくく、運営コストが負担であったための廃止と思われるが、メーカーの太平索道が廃業した事も関係するかもしれない。高山市が2006年度に鈴蘭シャンツェの指定管理者を募集していたが、委託業務に索道は含まれておらず復活の目はなさそうだ。
本ゴンドラは、単線固定循環式を採用している点が珍しく、また普通索道完乗を目指す人には、競技関係者のみの利用となっていたために「乗れない」事で知られていた。
『鉄道ピクトリアル2001年4月増刊号 千年の京にありて』掲載の「単線固定式普通索道について」という記事が、本ゴンドラをまとめて紹介する数少ない文献と思われる。
○比良山スキー場
・比良ロープウェイ 比良索道(株) 1962.8.16
※すでに本ブログでも取り上げたとおり2004年3月末を最後に休止していたが、『平成17年度鉄道要覧』には休止中で掲載されていたものの平成18年度版には記載がない。スキー場ゲレンデの復元作業の目途が立ったため、2005年度中か2006年4月1日付でリフト共に正式に廃止の手続きがとられたものと思われる。
○びわ湖バレイ
・アルプスゴンドラ (株)びわ湖バレイ 1975.10.31運輸開始
※株式の大多数を持つ名鉄が、保有する全株を日本ケーブル系のNCリゾートに譲渡すると発表し、その報道の中で来季からはゴンドラを大型ロープウェイに架け替えると報じられた。筆者は、ゴンドラとは別位置にゴンドラの夏営業を行いながらの新線建設となると予想するが、今シーズンの終了と共に営業を休止する可能性も排除できない。営業を行った単線自動循環式普通索道では国内で2番目、現存する中では最古の施設であるので、機会があればこの冬に乗っておきたい。
○奈良ドリームランド
・スカイウェイ (株)ドリームパーク 1961.7.1運輸開始
※『平成18年 鉄道要覧』に平成18年8月31日廃止予定として掲載されていたが、機器故障により2006年3月に運休し、そのまま再開することなくドリームランド廃園を迎えた。故障したのは制御盤らしく、代替の部品もないために簡単に修理とはいかなかったようだ。架設当時の機械がほぼそのまま残る三線自動循環式だったので、その廃線は惜しまれる。
○南レク御庄公園
・御荘湾ロープウェイ 愛媛県 1977.8.10運輸開始
※設備老朽化と山頂駅付近を通る有料道路の無料化が決まり利用者減が見込まれるため、2006年3月31日限りで営業を終えると決定。実際は、3月27・28日の2日連続で宙吊り事故(27日は搬器が山麓駅構内で脱線、28日は4号柱脱索検出器誤作動)を起こし、29日に運休して総点検を行い、その結果、30・31日は運休となったために3月28日が最終営業日になった。稚内公園と同様、2006年4月1日付の廃止と思われる。
本ロープウェイは日本ケーブルが自社開発した単線自動循環式の最後の1本であり、この廃止によって純国産の単線自動循環式は姿を消した。
本ロープウェイが廃止され、2006年度に立山山麓ゴンドラが富山県から富山市(ないしは同市3セクの大山観光開発)に移管されたため、県営の普通索道は消滅した。
執筆日:2006年12月25日
加筆日:2006年12月26/27日
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複式単線とは、1台の搬器に対して2本の支曳索を用いる方式であり、自動循環式での採用が一般的だが、交走式普通索道での採用が国内では箸蔵寺ロープウェイの一例のみある。
32人乗りという搬器定員から考えると、重量的には単線交走式でも対応可能と思われるが、谷越えがあるために大スパンでの架設が効率的である事と、風に強いフニテル式が採用可能となるために複式単線を選んだものと思われる。
なお、複式単線には、2条のエンドレスロープを用いる「ダブルモノケーブル」(DMC)と1条のエンドレスロープを2周させる「ダブルループモノケーブル」(DLM)の2種類があるが、後者ではロープ速度の同調に特別な装置は不要であるので、こちらが採用されている。 ロープの取り回しは、口で説明してもわかりにくいので、この画像を良く見てもらいたい。
上側の真ん中(一段高い)滑車が原動滑車で、2条の溝が切ってある。
こちらが、複式単線交走式普通索道の搬器。このように搬器幅よりも広い間隔に張られた支曳索を握索しているのをフニテルと称する。風に強いことは、直感的に理解いただけると思う。 握索機は自動循環式用を流用している。
執筆日:2006年7月14日
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