カテゴリー「大和索道建設」の記事

2007.03.05

ルスツリゾート ウエストペアリフト ~トラス支柱のペアリフト

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ルスツリゾート ウエストペアリフト ~トラス支柱のペアリフト

事業者名:加森観光(株)
公式サイト:http://www.rusutsu.co.jp/winter/
所在地:北海道虻田郡留寿都村字泉川
キロ程:637.119m
支柱基数:12基 トラス支柱(一部 鋼管円筒型)
高低差:194.0m
最急勾配:不明
輸送能力:900 人/時 ?
搬器台数:93台
速度:2.0m/s ?
回転方向:時計
動力:電気 75kw
許可年月日:1972年6月6日
運輸開始年月日:1972年12月3日
建設年:1986年11月
種別:特殊索道
方式:単線固定循環式
搬器定員:2人
山麓:原動重錘緊張
山頂:終端
索道メーカー:ヤマト索道(株)
鋼索メーカー:不明

観察日:2007年1月28日

ウエストMtに2つあるピークの間にある斜面の内、ゴンドラがある側に架かるペアリフト。幅のあるややきつめの中斜面であるダイナミックコースに平行しており、中級者には楽しめるが、ほとんどの部分は第2クワッドでもカバーできるため本リフトの利用者は少なめである。

さて本リフトの特徴は、1986年製という表示であり、かつペアリフトにも関わらずトラス支柱であること。前身の第4Aリフトの改造でペア化したためだそうだ。第4Aリフト時代の傾斜長は607mであり、ペア化と共に30mほど延長されている。ペアとなったのちもウエスト第4Aペアリフトとして営業していたが1997年にウエスト第1A/Bリフトが第1クワッドにリプレースされたのに伴い名称が整理され、本リフトはウエストペアリフト、ウエスト第5リフトはウエストタイガーリフトと改称された。

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山麓の原動緊張装置は、形状やその方式からおそらくペア化の際の新設と思われる。さらに1号柱は鋼管柱であり、2号柱との間もほぼ水平であることから、おそらくは現1号柱の位置に旧山麓停留場があり、現2号柱が旧1号柱であったと思われる。

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原動緊張装置にはスペックの掲示があり、上述のスペックもこれを参考にしているが、矛盾が多く、これは鵜呑みにできない。そこでスペックを検証してみた。

まず、ロープゲージと傾斜長からロープ全長は約1285.5mであると計算できる。搬器台数が93台であることから、搬器間隔は13.82mとなる。2cmの差であるので、これに関しては表示は正しいと考えて差し支えないだろう。

輸送能力が900人/時ということは、搬器の発車間隔は8秒となる。
一方、運転速度が2.0m/sということは発車間隔は6.9秒となる。
発車間隔が8秒で正しいなら運転速度は約1.7m/sとなるはずだ。
発車間隔が6.9秒ならば、輸送能力は1042人/時となるはずだ。

つまり、輸送能力か発車間隔か運転速度のいづれかが正しい表示になってないと思われる。この画像ではわかりにくいが、輸送能力の「9」と搬器間隔「7」秒にはあきらかに修正の痕跡もある。

一般的にこの年代のペアリフトは発車間隔が6秒というケースが多く、搬器間隔13.8mというのは、当時認められていた最高速度である速度2.3m/s・発車間隔6秒の場合の搬器間隔である。あくまでも筆者の推測であるが、2.3m/sという仕様を採用したものの、もっと遅いほうが良いという事になり、搬器数はそのままで減速・輸送能力減少改造を行ったか、将来的に速度向上を行う想定で搬器間隔13.8mを採用したかのいずれかと思われる。シングルの改造という視点から考えると、搬器数をむやみに増やせないという構造上の問題があったのかもしれない。

ということでこの掲示されたスペックは、輸送能力か速度のいづれかが虚偽であるのは間違いないと思われる。「Yahoo!スポーツ」の情報では、本リフトの輸送能力は1042人/時となっており、これは上述の速度2.0m/s、発車間隔6.9秒という仮定の計算結果と一致するので、これが正しい可能性が高そうだ。

あとは、索道メーカーとして交走式ロープウェイなどの実績も残す大和索道と、このヤマト索道の関係も気になるが、この時代のメーカーについての資料を持ち合わせないので、さっぱり判らない。

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トラス支柱の時代には、このような大掛かりな作業アームはあまり見かけなかったので、これはペア化にあたっての増設かもしれない。また、角パイプ構造となっているアームもトラス支柱時代にはあまりみかけない方式だ。おそらくはトラス構造の支柱本体だけを流用し、アームや索受はペア改造時に交換されたものと思われる。

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山頂停留場の終端装置は、1986年建設という年代に見合った近代的な構造で、トラス支柱とは不釣合いだ。画像でわかるように、ここも最終支柱だけ鋼管柱であり、延長が行われたか、旧施設の緊張装置が最終支柱と一体化していたなどの理由で、改造時に新設された支柱と思われる。

この支柱の作業アームの形状や搬器の形状は、同年代の東京索道の製品と良く似ており、なんらかの節点があったのか、たんなる偶然か興味深い。

大規模な改造が行われたとはいえ、実質的にはルスツで最古の設備であり、ペア化の時点を新設年と考えてもウエストゴンドラに次ぐ古さであるので、何らかの変化が見られる可能性が高いように思われる。索道ヲタ的には、実に趣のある現状のまま使い続けてほしいが、一般スキーヤーにはトラス支柱というだけで印象が悪いと思われ、スキー場全体を考えるなら、架替が妥当だろう。ということで、興味をもたれた方は早めのご訪問をお勧めしておく。

執筆日:2007年3月5日

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2007.01.06

八幡山ロープウェー ~八幡山城址に架かる観光ロープウェイ

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八幡山ロープウェー

事業者名:近江鉄道
公式サイト:http://www.ohmitetudo.co.jp/hachimanyama/index.html
所在地:滋賀県近江八幡市宮内町
キロ程:543m
支柱基数:2基
高低差:157m
最急勾配:不明
輸送能力:不明
搬器台数:2台 もみじ号(No.1)、さくら号(No.2)
速度:不明
動力:電気
許可年月日:1961年9月15日
運輸開始年月日:1962年11月23日
種別:普通索道
方式:三線交走式
搬器定員:25人(車掌省略)
山麓駅:原動停留場
山頂駅:緊張(油圧)停留場
索道メーカー:大和索道
搬器メーカー:大阪車輌工業(2006年2月21日交換)
鋼索メーカー:不明

観察日:2006年9月23日


滋賀県中央部の琵琶湖東岸にある近江八幡は、豊臣秀次が築いた城下町で近江商人の町として発展した。現在ではその商都の面影と水郷の町として知られている。この町の礎となった八幡城があった八幡山山頂近くと城下町を結ぶのが、八幡山ロープウェーである。最短距離にある山麓部と結ぶのではなく、ほぼ尾根沿いに日牟禮八幡宮の近くを結ぶところに路線設定の工夫のあとが見られる。同八幡宮は左義長祭で知られる観光スポットである。

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この画像をみると駅前広場風であるが、実は駅前はバスも通る道路。道路とほぼ平行にでるロープウェイ線路は珍しい。画像右手の方が日牟禮八幡宮である。ロープウェイの山麓停留場というと、けっこう高い位置まで階段を登らせる例が多いが、ここはこの通りほぼ道路とレベルであり、完全なバリアフリーではないものの人に優しい停留場と言えよう。

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停留場内には真新しい安全索道の銘板があった。建設を担当したメーカーは大和索道であるが、2005年に搬器交換を含む大掛かりな更新工事を受けており、それは安全索道が担当したそうだ。この更新工事で、山頂にあった原動装置が山麓となり、緊張装置が山頂となって、交走式では珍しい油圧緊張となったそうだ。

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これはホームに積んであったインゴット。もちろん金のインゴットではなく、鉄のインゴットで1個が30kg。これ2個で法令上の一人分の重量になる。検査時に人の代わりに積んだり、強風時に揺れ防止のために積む。ホームに置いてあるのは、強風時に使うためだろう。このインゴット、なぜか一部に日本ケーブルの旧トレードマーク入り(赤矢印のものなど)があり、近江鉄道のスキー場から移設されたものと思われる。

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搬器扉横の外側に、燈具などのスイッチがある。ここは車掌乗務を省略しているので、係員の便を図り、外側に装着したと思われる。

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こちらはNo.1搬器「もみじ号」。紅葉を意識したと思われる腰板部の赤が裾の部分がグラデーションで薄くなっているというなかなか洒落たデザイン。「もみじ号」「さくら号」という愛称は、搬器交換をつたえる新聞記事にあったのみで、現車には書かれていない。

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こちらがNo.2搬器「さくら号」。「もみじ号」と色調の異なる赤でいわゆる桜色となっており、桜の花びらを散らしたような模様が入っている。

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搬器内は内張りのある国産搬器としては標準的な感じだ。

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搬器内には安索の銘板があり、搬器交換工事も安索が請負った事を物語る。

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こちらは搬器のキャビン部分を製作した大阪車輌工業の銘板。よく見かける銘板で、最近の国産交走式搬器は同社のシェアがかなり高そうだ。

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搬器内にあった諸元表記。開業時の搬器は、21人乗り、自重1000kgだったそうで、1984年に交換された搬器も21人乗りだったそうなので、2005年の更新時にはロープの仕様も変えたのかもしれない。

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これが走行装置で、走行輪や曳索のソケット結合の様子がよくわかる。

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搬器には冷房装置がないので人力送風器が装備されていた。

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尾根沿いに位置する線路がよくわかる。

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これが1号支柱。比較的シンプルなトラス構造に建設時期を感じる。

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これが支柱サドルと索輪。支索はサドルのシュー部分に載せられているだけで、前後に摺動可能な構造になっている。三線交走式としては一般的な構造である。

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これが山頂駅で、ピークよりやや下がった位置にあり、展望館や八幡城跡にある村雲御所瑞龍寺門跡までは遊歩道や階段で結ばれている。

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これが西ノ丸跡から見た琵琶湖と比良連峰。正面あたりがびわ湖バレイで、ゴンドラ線路も見えるはずだが、はっきりとは分からなかった。

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遊歩道で西ノ丸跡や村雲御所瑞龍寺門跡を回り、ロープウェイ駅の案内に従って進むと展望館が行く手をさえぎった。建物内を通り抜けるのが正しい道順だそうだ。一応売店になっているので、ついお土産などを買ってしまう人もいるのだろう。むろん手ぶらで出てもなにも言われない。

さて、ここからおまけ。

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遊歩道沿いには、この通りラック式モノレールのレールが敷設されており、併用軌道状態だった。レールを見る限りは、最近動いた形跡はなく、残念ながら車輌も発見できなかった。

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ラック式モノレールの終点では、小型貨物ケーブルカーに接続。どうも村雲御所瑞龍寺門跡への貨物運搬用の設備らしい。

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ケーブルカーには貨車が残っており、エンジンも備え付けられているので、こちらは現役かもしれない。


執筆日:2007年1月6日


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2006.12.21

索道メーカー 大和索道建設

大和索道建設は、熊本に本社を置く、索道や吊橋のメーカーである。以前は、九州大和索道建設と称していたが、いつの間にか現社名に改称した。

正直言って資料がほとんどなく、公式サイトでも会社の歴史についての説明がまったくないので、その経歴はよくわからないが、現法人の設立は1972年である。阿蘇山ロープウェイや初代舘山寺ロープウェイなどに実績を残す大和索道という古いメーカーがあり、これらのロープウェイのメンテを同社が請負っていたので、両社は関係あるものと思われる。また、昇仙峡ロープウェイや初代藻岩山ロープウェイを建設した九州索道というメーカーも存在し、大和索道と九州索道が合併して、九州大和索道となったという話を耳にした覚えもあるが、確証はない。

索道ファンの間では、貨物索道方式の屈曲リフトを架設したことで知られている。これは外屈曲を内側に2回曲がることで行う方式で、屈曲部分では立体交差が必須のため、搬器下高さの制限があるリフトには向かないと言われていたが、同社では保護網を駆使して強引に実現している。この特徴ある屈曲リフトも、ラクテンチではリフトが廃止となり、サンビレッジ茜では直線のリフト(日ケ製)にリプレースされた。

大和索道の時代には、スキー場リフトの実績もあったようだが、近年建設のリフトはもっぱら九州内に架設されたリフトで、一部に人工スキー場用はあるものの積雪地向けのリフトの実績はない。また、三井グリーンパーク(大牟田)内では自社施工リフトの運営も行っている。

かいもん山麓ふれあい公園リフトまほろばの里リフトは、おそらく同社製と思われるが、銘板等でメーカーの確定ができなかった。

これで現役及び近年までメーカーとしての実績がある会社の紹介は終了。これ以外に鹿島製作所などもあるが、ほとんど実績がなく、筆者も大和索道建設以上に知らないので、紹介できない。

執筆日:2006年12月21日

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